満喫ゾンビ 前編
ペチャペチャ、ニチャニチャ
チュッチュッチュッ
マンガ喫茶というものは、食事を注文するとニ・三時間だとか、あるいは無制限に雑誌を楽しむことができる。
Mangar(マンガー)にとってはとても助かる商売だ。
そういう、食後長時間居座るシステムなので、自然と奴らに出会う機会が増える。いわゆるクチャラーというやつだ。
口の中で縄跳びをしているような、跳ねるようなリズムが耳に心地いい。悪い。
隣に座ったいかにも人畜無害といった容貌の男が、食事を始めると突如ゾンビになってしまう。ごはんゾンビ。
彼らが未だに滅びていないのは、大した天敵がいないからだ。黙って指をくわえているヤツは、犠牲になるしかない。
奴らに正論は通じない。なにせゾンビ。
火炎放射器で焼き払えば一撃ではあるが、「食事中以外は人間」という厄介な生態をしているので、一応人権がある。
では野放しにするしかないのか、と諦めることはない。
ムツゴロウさんがいる。
隣に座る五十がらみの男の前に、チキン南蛮定食が運ばれてきた。ゾンビへの変貌を予感させる。
「いいですねぇ。ここのチキンは硬いですからねぇ筋が歯に挟まりますよぉ」
ムツゴロウさんは頬を持ち上げて、目を細める。森に分け入り、珍しい鳥を待ち望むような目だ。
男はまず、みそ汁をかき混ぜて口に運ぶ。箸に米がこびりつかないようにと考えているのかはわからない。
次に、南蛮ソースがたっぷりとかかったチキンをひとかけ。追ってご飯を入れる。
モグモグモグ。
つづく
本物の
まず、『本物の洗濯ばさみ』とは何なのか。その説明が必要だと思う。
私たちが『本洗』と呼ぶそれは、めったにない珍しいものだが、例えば百円均一に売っている三十個セットの中にだって隠れていることがある。
素材もまちまちだ。ステンレスの物もあれば樹脂製の物もある。特定の形をしているわけでもない。
私が初めて本洗と出会ったのは、もう十五年も前になる。
溜まった洗濯物を干していると、ふと、違和感に気が付いた。この洗濯ばさみは何かおかしい。
色や形、重さがどうというわけではない。何かがおかしい。例えば休眠中の虫や小動物を手にしているような、生命感があった。
それから私は度々この何かおかしな洗濯ばさみに遭遇して、少しずつストックを増やしていった。
とある職に就き、そこで出会った森から、この本洗についての知識を得たのだ。
「ほれ、見ろよこれ、さっきまで動いてたんだぜ」
三井が自慢げに青いプラスチックの本洗をカチカチと鳴らす。
「やめろ、みっともない」
「たった三つしか持ってこれなかったやつにあれこれ言う資格はねぇ」
「まぁまぁ。たった三つでもこれは上質だから、四百万にはなるよ」
質の良い本洗には、いい値がつく。それが安けりゃ百八円で売られているものだから、商売にすればぼろ儲けだ。
「それにこれ。このアルミの本洗、隣のババァから八万で買ったんだ。妙な目で見られたけどな。二十倍の価値はありそうだ」
三井が銀色の、ところどころが錆びた本洗を本革のケースから取り出す。
「僕はこれ、ハワイ旅行で奮発しちゃった。二十万円」
森が赤ん坊の小指ほどの、木製のそれをつまんで見せた。
売り物じゃない、すでに誰かが使っている本洗は、適当な額をふっかければたいていは楽に買うことができる。それほど、本洗を見分けられる人間は少ない。
私の知っている限り、それができるのはこの三人だけだ。
しかし、それが問題なのだ。
私たちはいわば宝石を見分ける能力があるようなものだ。その能力をおいそれと人に教えるほどバカじゃない。
しかし、三人だけが知っている宝石に、果たして価値はあるのだろうか。
「やめらんねぇよなぁ」
三井が心の底からそう呟いて、私たちは無言でうなずいた。
一方、隣の席では、ピカピカの石を馬鹿みたいに撫でまわす四人組がいた。
なんだこいつら。気持ち悪い。
どこに行っても、変な奴はいるもんだ。
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