ラッキーとパターソンとナポレオン・ダイナマイトと私の人生と
ポストに、何かしらの宗教のチラシが入っていた。
彼らは「死とは何か」だとか、「人の生きる意味」だとかを説いている。
誰でも考えたことがあるだろう。
今日、「ラッキー」という映画を見た。
「ラッキー」というあだ名の、ヨボヨボのじいさんの日常を描いた映画だ。
毎日同じルーティーンをこなすラッキーは、ある日突然卒倒してしまう。それをきっかけに「死」を意識するようになりながらも日常を送っていく、というような映画だ。
大きな事件といえばその倒れてしまうシーンぐらいしかなく、淡々と過ぎていく日々を描くのだが、それが潔くて心地よい。
詩を書くことが趣味の、バス運転手の日常を描いた映画「パターソン」にも似たような空気感だ。
大多数のヒーローでも何でもない彼らの日常を覗くと、自分の人生がどうだとかに一喜一憂する気もなくなり(したことはないが)、肩の力が抜ける。
田舎町の小さな物語という点が共通するが、「ナポレオン・ダイナマイト」も狂おしいほど良かった。
彼らは誰一人としてスターじゃないのに、誰かを惹きつけている。つまり誰の人生だって、映画一本よりはきっとおもしろいはずだ。
人生とは何か、死とは何か。
そんなことは、生きている内に本当の答えがわかるわけも無いし、人生が終わるとき、もしくは終わった後でさえも知りえないんじゃないか。
後悔しないような人生を送ってもいいし、後悔してしまうような人生を送ってしまってもいい。
どうせ正解がわからないのなら、自分の生きた結果が正解に違いない。
神を信じるのも正解だろう。
私は毎晩、マジックで額に二重丸を書き、その中心に「BULL」とプリントされたシールを貼って眠りにつく。
どこかから奇跡的に飛んできたダーツの矢が、いつかそこに突き刺さる日が来ると信じている。