スカッとするんですけど
あれこれと考えなければいけないことは山ほどあるが、目下の問題はやはり、スカッとジャパンでスカッとできなくなってきていることである。
あれを見て、未だにスカッとできている人間がいるのだろうか。きっといるんだろう。
何故スカッとできないのか。不思議だ。
疑問を解決するために、議論が交わされる。
「昔はそうじゃなかった」
心理学者は眉頭にしわを寄せる。視聴者の意見が180度変わってしまったことに興味と落胆を半分ずつ抱えているらしい。
「何が変わったんでしょうか」
「うまくいきすぎていると、嘘臭さが増すんだねえ」
「はぁ、なるほど。となると、失敗も織り交ぜますか?」
そりゃあいい、と自分でも感じた。初っ端からいい案を口走った気がする。
「嘘松――という言葉があるね」
「はい。少し前から随分と聞くように」
嘘松。『おそ松さん』関連の酷い嘘ツイートから生まれた単語だ。騒動の本人は一体どうなっただろう。まさか自分がピラニアの餌のように食い漁られるとは思っていなかっただろう。
「そもそも、話を盛り上げるための嘘なんてものは昔からあった。それなのにどうして叩かれてしまうのか。まるで良い嘘と悪い嘘があるみたいだ」
「確かに。だとすると、『スカッと』は良い嘘から悪い嘘に変わってきているんでしょうか。
「いや、そもそも、だ。嘘かどうかもわからない。ただ、こちらが『嘘臭いなぁ』と思っているだけなんだ。あれもこれも、エンターテイメントだと思って割り切れば楽しいのに」
確かにそうかもしれない。そのまま嘘松眼が育つと、ドラマや映画にまで嘘松判定が適用されてしまうかもしれない。
いや、待てよ。それは無い。あれもこれも、あくまでも実話だと言い張っているから叩かれるのだ。だからこその「嘘」か。
「『この番組はフィクションです』とでも書いときゃいいですかね」
「いいや、リアルだと信じている層もいるんじゃないか? 彼らの夢を砕くのは酷だ。面白みというのはそういう、ギリギリのところに生まれるんじゃないか?」
私はふと思い出した。
「少女は何とか一命をとりとめた」嘘だ。
「専門家の指導の元撮影を行っています」嘘だ。
「スタッフが美味しくいただきました」嘘だ。
実際は、嘘だとわかる嘘がそこらにはびこっている。放っておかれる嘘と、鷲掴みされる嘘があるのだ。
「教授。スタッフが~、はどうしますか?」
「あれもそろそろ潮時だ。変えるか。『土田晃之が美味しくいただきました』とかにするといいんじゃないか」
「それは面白いよ」
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