蛇が死んでいた。
食料を買いに車を走らせ、玉ねぎと納豆と鶏肉と牛乳を買った。何かメニューが頭に浮かんでいたわけではなくて、これらの品は常に切らさないように常備している。
今日は何を作ろうかと考えながらハンドルを握っていて、あと二回角を曲がれば家へ着くという所だった。薄暗い路地に、蛇を見つけた。
気付くのが遅く、あ、蛇だ、と思った時には、既に蛇はボンネットの死角へと隠れてしまった。
ブレーキをかけて停止すると、私はすぐにシフトレバーをRへ入れ、車を下げた。そして蛇の姿を認めると、ハンドルを調整してしっかりと蛇を轢いた。
キッチンの床に落ちた米粒を足の裏で探るように、タイヤが拾うその小さな感触を頼りに執念深く何度も轢く。傍から見るとそれは随分と狂気めいていると思うかもしれないが、家の近くで蛇を逃がすというのは失態以外の何物でもないのだ。例え動物愛護の精神で生命の尊さを説かれても、私はきっと蛇を殺すだろう。
噛まれて「痛い」というだけのことなら殺す必要はないが、ここは沖縄。それが猛毒の「ハブ」だったなら、我々が殺されてしまう可能性も大いにある。弱肉強食だ。
果たしてその蛇がハブだったかどうかは定かではないが、あれはいわゆる「ウロボロス」というモノだったのではないか、と今にして思う。
ウロボロスというのは、蛇が自分の尻尾を噛んで輪の形になったイラストで表わされる、「永遠の象徴」のようなものだ。
どうしてそういう風に思ったのかというと、あの蛇がウロボロスのイラストのような格好で死んでいたような気がする、という単純な理由も無いことはないが、一つは私の体に起きた異変のためである。
私は今、同じ一日を繰り返している。
「そういう話でも書いてるの?」
柏木はそう笑った。少し嘲笑に近い。
柏木とこの話をして、この会話の流れになるのも実は十二回目だ、ということでもない。私の繰り返す一日は、映画や小説にあるように世界の全てが巻き戻るわけではない。それが影響するのはただ一つ、私の体だけだ。
「蛇を轢いた日から、体だけが翌日に持ち越せなくなったんだ」
私はなるべく簡潔にその現象を説明した。おとぎ話じゃない、現実の話だ、と付け加える。
「よくわからんよ」
それはそうだ。柏木が理解しようとしないのも無理はない。
「そう、よくわからんのよ。だけど本当のことなのよ」
私は如何に困っているかを説明しようと、Tシャツを胸まで捲り上げた。
「あの日の晩、俺は胸毛を剃ったんだ。みっともないからな。だけど夜が明けるとどうだ、俺の胸毛はこうして生えたままだったんだ」
「うーん」柏木は一唸りして、閃いたように言った。「それは、あれだな」
「なに?」
「いや、やっぱりわからん。なんかメメントみたいな話だなって思ったけど、それとは違うな。あれはただ上書きができないって話だったろ?」
「わからん」
「そうなんだよ。だけどお前は違う。例えば今、お前が骨折したとしてもそれは明日には戻っているんだろ? ということは記憶がどうこうじゃなくて、やっぱり時間が戻っていると考えるのが不自然だけど自然だ」
「そうだな。折れた骨は何事もなくなってて、だけど俺たちは明日になってもこの話を覚えているんだ」
気味の悪い話だ。足を折る痛みを想像して、苦い顔をしながら答えた。
「再現性はあるのか? 何か試したのか?」
「もちろん。カミソリで切っても、翌日には何も」
「マジかよ。ほんとならそれ、MUTEKIじゃん」
そう、無敵だ。良く考えれば、鈍重なウルヴァリンだと捉えることもできる。
「ちょっと食ってみないか?」
柏木はそう提案して、実行し、死んでしまった。
私の肉をたらふく食らい、そのエネルギーが突如体内から消えてしまったことが原因なのではないかと思う。
以来、私は蛇ハンターとして生計を立てている。あの蛇に出会うまでは、私は正に「死ねない」のだ。
あれ?これもしかして面白いんじゃないですか?ダメですか?
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