このご時世、人間関係を築く上で上手に「指摘」をするということはとても大切で、かつ難しい問題だと思う。
冷静に指摘するだけでは部下はついてこないかもしれないし、例え付き合いの長い友人に対しても、マナーの悪さを指摘することは相当な決意がいる。ましてやたまたま隣に座った中年男の悪癖を注意するなんて、車のタイヤを地球儀に取り換えるようなものだ。かわいい。
指摘をするということは、指摘をされるような行いを相手がしたということだから、こちらが思慮分別する必要もないような気もする。だけどやはりそんなわけがなくて、現に私は反論したくなるような指摘をされると、だってだってと言いながら涙をほろりとこぼしてしまう。
目の前に座るのは、笑顔の素敵な女性だ。
私は既に決意をしていて、その時が来れば彼女を肩に担いでよっせよっせと練り歩こうと思っている。その時のために、今は仲を深めようとしている。
目下の問題は、彼女の素敵な歯にゴマが挟まっているということだ。歯科的に言うと右上1番と左上1番の間で、歯科的に言わなければ上の前歯の中心に、それはまるで涙型のペンダントトップのように鎮座している。
彼女はよく食べよく飲みよく喋った。それでもゴマはそこにあり続けて、もしかしたら専用の台座でもついているんじゃないかと疑ってしまう。
ただ、先端の情報でもそんなものが流行っているなんて聞いたことはないし、これがおめかしだとしたら私は徹底的に反論する。泣きながら。ローラ辺りでいいか。
カス。これは食べカスだ。初めからそんなことはわかっている。
あれこれと言い回しを考えながら、指摘をすることから逃げているだけ。彼女がにこりと笑うたび、ゴマが少しずつ大きくなっているように見えてきた。
彼女のことを考えれば、それこそ歯に衣着せぬ物言いではっきりと教えてあげる方がいいはずだ。前歯にゴマが挟まってるよ。そう言ってあげよう。
私はビールをグイと飲み干して、彼女を正面から見据えた。
ちょっと待て。これがパンティーだったらどうだ。
女性のスカートが捲れ上がっていたとして、それは指摘するべきなんだろうか。いかに親切心があろうと、女性からするとそれを指摘されるのは随分と不快なことだとテレビで見たような覚えがある。
彼女らに言わせると、そもそもそんなところに視線を這わせてんなよオラという気持ちなのだと。
ああ、ダメだ。やっぱり無理だ。
心は折れてしまって、だけど小さな使命感があって、私は奥歯に物が挟まったように口を動かした。
「素敵なペンダントだね」
「え?」彼女は一瞬キョトンとして、だけどすぐに気が付いたように微笑んだ。「ああ、これね」
それから首元に手をやって、小ぶりのハートがついたネックレスを指でつまむ。
「彼氏にもらったの」
おや? おやおや?
いつの間にか立ち上がっていた。このセサミンがぁ~、と金八先生の口調で言うと、私は涙を隠すように店を飛び出した。
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