スウィーテスト多忙な日々

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あなたの隣に誰かいる

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よく死ななかったよなぁ、と思うことがたまにある。
海水浴中に「離岸流」という沖へ向かう潮に流されたり、海から上がったら隣の友人の腕に海蛇が絡みついていたり、居眠り運転をしてしまって中央分離帯に突っ込みかけたり、車に轢かれたり。


脳内のパニック抑制装置が働いているのか、危険な経験をした直後というのは案外「あぶなっ」ぐらいのサクフワ感情しか湧かないことが多い。けれどそれから日が経ち、さぁ眠ろうかというタイミングでそれを思い出してしまうことがあって、そんな時は「あぶなっ」の先の最悪の展開を想像してしまって恐ろしくなる。
「死ぬかと思った」だ。

そういえば、そういうタイトルの本がある。
日常生活で突然死の危険にさらされたり、恥ずかしくて死ぬかと思ったという体験がいくつも綴られている本
ちなみに、同じ出版社なのかはわからないけど「釣り人の」死ぬかと思った体験談の本もある。こちらは自然を相手にしているだけあって、熊に襲われただとか、釣竿が高圧線に触れてしまっただとか、荒磯から転落してしまっただとか、そういった本当に死にかけた体験談が多い。

死ぬかと思った出来事を見聞きしたり、あるいは体験してみると、「人間って案外死なないもんだよなぁ」と思ってしまう。
びっくり映像100連発!! みたいなテレビ番組で、庭先に雷が落ちたり、爆破解体したビルのコンクリート片が頭をかすめて飛んでいく映像を見ると、そういう危険な現象や物質自らが人間を認識して、ギリギリ避けてくれているように感じる事がある。
天体だけでなく、人間でも石ころでもコピー機でも質量のあるものはみな、引きつける力、引力という力をもっているらしい。人間が持つ引力というのは微々微々微々たる力なので日常生活では感じる事が出来ないらしいけれど、そういったひきつけあう力がある以上は、人と何かがぶつかりそうでぶつからない確率よりもぶつかりそうでぶつかる確率の方が高そうに思えるのに。

という風に考えると、また自分の考えを改める必要があるなぁ、と思えてくる。
いくつか前の記事でも似たようなことを書いたけれど、びっくり映像や危機一髪のエピソードトークというのは当人が無事だったからこそ語られているのだろう。死ななかった話を聞いて「案外死なないもんだよなぁ」と考えるのは、それこそ脳が死にかけている証拠かもしれない。
「あ、これ死んだな」
と思うような映像の後、「なんとか無事だった」みたいなナレーションが入ることがあるけれど、あれもきっと番組進行上の演出という体の嘘なんじゃないだろうか

つまり何が言いたいのかというと何も言いたいことは無いのだけれど、適当に生きていても死なないようになっている現代は、ある意味私たちを付け上がらせる原因となっているのかもしれないと考えたこともない。

 

 

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