スウィーテスト多忙な日々

スウィーテスト多忙な日々

誰かの役に立つことは書かれていません……

急がなかったせいで急ぐ

f:id:tthatener:20190709000254j:plain


今日は、時速0kmで思考していた。

その影響か、あと一時間足らずで日付が変わってしまうので、急いでブログを書いている。
急いで書く記事としてふさわしい内容といえば、やはり「急ぐこと」そのものについてだろう。
日常生活において、自分自身の会話や行動のスピードを意識することはほとんどない。もしかすると人類の大半はそれをしっかりと意識してコントロールしているのかもしれないけれど、少なくとも私は無意識に喋り行動している。

私は動作が遅い。
面倒がって行動を後回しにしてしまう、という意味ではなくて、スピードそのものが のろ い。各個人の動作スピードは何を基準に決まるのだろう。松野明美と私を隣り合わせで解剖すると、モーターだとかギアのセッティングの違いが明らかに分かるのだろうか。
自分の行動の遅さに気が付くと、人生を損しているような気持ちになる。例えば調理。滞りなく工程を進めても調理に時間がかかるのだけれど、それこそ原因はスピードの遅さにある。
「え? え? これどうすればいいの?」と焦りながら料理を進める初心者と比べても、完成までの時間に大差はない。
そういえば、学生時代もそうだった。漢字を方眼ノートに書き写す授業で、私は周りの誰にも負ける。加えて字も汚い。遅くて汚い奴が周りに合わせようとすると、ちょっと遅くてだいぶ汚い字が出来上がる。最悪だ。
幼少期から連れ添ったその のろ さを引っさげて、学生を終え、職に就く。私はどこへ行っても「落ち着いてるね」と言われるようになった。

落ち着いてるね、という言葉を、私は額面通りに受け取ることが多い。言われると、「いやあ、そんなことないですよ」と満更でもない様子で返すのだ。
隠された真意があるのかどうかはわからないけれど、思い返すとやはり意図があってそう発言していたのだろうと思う人はいた。「ダラダラ仕事してんじゃねぇよ」を極めて軟らかく煮こんでくれたのだろう。
それに気が付かない辺りも含めて、やはり鈍いのだ。

話すのも遅い。
これは半ば意識的なものだけれど、そもそも思考速度が遅いのでそのしわ寄せが来ているだけだと言っていい。
喋りが遅いというのは、特にデメリットではない気がする。だけど思考能力が低速なのは大いに困る。会話をしていて、上手い表現や返しが即座に見つからない。だから何ともない顔をして何の中身もない言葉を口走って間を繋いだり、歯茎に隠したスロー再生ボタンを押す。

これまでもこれからも同じスピードで生きていていいのだろうか。自問してみると、やはりあまりいいとは思えない。私の十年を、ある人は五年でこなしてしまうかもしれない。そう考えると恐ろしくて仕方がない。
例えば友人のフミオがその「ある人」だとして、彼がその五年間を書き記した日記を目にしてしまったら、私はショックで二日寝込むかもしれない。フミオからすると一日だ。フミオが五十年かけて作り出す秘伝のスープに、私はきっと辿り着けないのだ。


こうしてフミオと比較すると、いかに自分が時間を無駄にしているのかを嫌でも自覚させられる。

「人は人、自分は自分だよ」

脳内の天使が囁く。

こいつか。

私はこの怠け者を追い出すために、頭に

 

 助けて