意味わからんの一言で一蹴するなんて、もったいないことだと思わんかい?
目からビームは出ないし、口から炎も吐けない。手のひらから出るのも、頑張ってせいぜい手汗ぐらいだ。
私は子供の頃、よくゲームをしていた。格闘ゲームも、RPGゲームも、アドベンチャーゲームも、万遍なくやった。あの頃は一体何が楽しくて四六時中ゲームをしていたのかよく覚えていないけれど、大人になってもゲームをして、アニメを見るんだろうなぁ。嫌だなぁ。と思っていた。子共ながらに、自分の子供っぷりに嫌気が差していたのだ。
大人になってからはパタリとゲームをしなくなった。ゲームというのは例えそれがどんなジャンルだろうと、「タイミングよくボタンを押す」だけに過ぎないじゃないか。そんなことに時間を割くなんて馬鹿らしい、と思ってしまったことがきっかけだった。
実際はそんなことはなくて、ボタンを押すことによって変わる展開と映像を楽しむのがゲームで、その裏で動いている数字やアルファベットの組み合わせのデータなんて考える必要はない。そんな風に考えるなら、人生だってタイミングよく喋ってタイミングよく体を動かすだけのつまらないものになってしまう。
そんな考えは、冷めすぎていてこじらせすぎている。
ゲームの世界の彼らは、手から鮮やかなエネルギーを放出し、敵を蹴散らしていく。
子供の頃はそれに倣って波動拳やかめはめ波を出す練習をしたものだ。けれど私たちはすぐに現実を知る。そんなものは出ないのだと。
鳥は空を飛び、魚は海中で息をする。それは当然で、理論に基づいている。従って考えると、人間は生身では飛べないし、海中で息もできない。波動拳なんて当然出やしない。
科学というのは、昔は「観察→検証→結果」という順序で物事の仕組みを解き明かしていたという。実際に起きている現象を見て、それを再現し、仕組みを知る。
現代の科学は発展して、予測を元に結果を得る。観察をしなければ皆目見当もつかないというような「未知」が随分と少なくなったのだろう。すごいことである。
「そういうことを考え始めた時に、人間が飛んでいなかったことが原因だと思うんだ」
サルは尖った赤鉛筆の先を私に向けた。彼はヨーロッパの出身で、日本のアニメが好きというただそれだけの理由で日本に移住したらしい。サルトゥスという名前だ。
「どういう意味?」
「鳥が飛ぶ原理を見つけたのは、そもそも鳥が飛んでいたからだろう? 人間は元々飛んでいなかったから、人間が飛ぶ原理が見つからなかったし、飛べないと思われているんだよ」
「屁理屈だなぁ」
私は顔をしかめて、口の端で笑った。
「だから僕はかめはめ波は打てないんだよ」サルは残念そうに言う。「産まれた時に打ってればなぁ」
物事には理屈がある。それには既に上下関係があって、理屈がなければ物事は成り立たない。サルはことあるごとに、「理屈より先に着けばいいんだ」と私に熱弁した。
丑三つ時、私とサルは遊具のない公園に集まり、夜な夜な戦う。
接触は厳禁。体の一部から何か未知のエネルギーを放出し、それによって攻撃をするというルールだ。今のところ、何か道のエネルギーを放出できたことはまだ一度もないのだけれど、「はっ」とか「ほっ」とかお互いに言い合って目に見えない攻防を繰り広げている。この時代、小学生でもやらないだろう。
数年前の、ちょうど今くらいの時期のことだ。
サルの太ももからどくどくと血が溢れ、固い土が少しずつそれを啜っている。
影絵を作るように両手を特殊な形に折り、私は卑猥な言葉を叫んだ。その直後のことだった。
体の一部から、何か未知のエネルギーが放出された。それがサルの太ももの内をかすった。ついに事が起こったのだ。
サルは太い脈をやってしまい、母国に帰ってしまった。
それ以来、私は卑猥な言葉を叫ぶのはよそうと決めた。人前で卑猥な言葉を言わない方がいいのは、きっとそういう理由なんだと思う。
今週のお題「人生最大の危機」
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