何一つとして言いたいことはない
目を閉じて歩くと、途端に何かとぶつかりそうな恐怖心に襲われるのはどうしてだろう?
例えそれが駐車場のような周りに何もない広い場所でも、目を閉じると目前に木や壁が突如現れたような錯覚に陥ってしまう。不思議だ。
私の自由研究のテーマは、それを克服し、あわよくばその謎を解き明かそうというものだった。
そんなことをして一体なんになるんだと言われたらそれまでだけれど、そもそも自由研究なんだから自由にやらせてもらうことにする。
さて、そのテーマを元に、具体的に何をするかだ。「目を閉じたまま25メートル歩けました」なんて一言で終わるようじゃあ研究とは言えない。
考えた結果、私は地図を作ることにした。
目を閉じて作る地図。
果たしてそれに何の意味があるのだろう。そんなことは考えちゃいけない。意味があるかどうかなんてやってみないとわからないし、そもそもやってみて意味がないことなんてきっとない。やって後悔するのは、やって満足することの次に有意義だ。きっとそれは間違いない。
やることも決まり、最初に取り組むべきは目の代用品を手に入れることだ。
視覚障害者が外を出歩く際に用いる杖を「白杖」という。それは扱いの難しい物で、正しく使うには講習を受ける必要がある。それ以前に、健常者が白杖を使うのは道交法違反にあたるらしい。
そうなってしまうと私は何を頼ればいいのだろう。考えた結果、小学校の頃に空手道場で使っていたこん棒を使えばいいという名案を思いついた。白杖に間違えられることはないだろうし、刃物でもないからきっと大丈夫だ。
早速、タンスの奥に眠っていた空手着に着替え、クローゼットの底に隠れていたこん棒を取り出した。
緑色の帯を締めると、裸足のまま外に繰り出す。
「何してるの?」
数歩歩くと、すぐに近所のおばさんに捕まった。不信感を帯びた声だ。
「自由研究です」
私は毅然とした態度で答える。
「あぁ、そう……」
おばさんは納得しかねるような声で言った。そりゃあそうだ。上も下も丈の足らない空手着を着た31の男を見て、あぁなるほどと納得できるはずがない。
いかれちゃったのね。それがきっと正常な判断だ。
ともあれ私は最初の難関をクリアし、再び歩き出す。
踏み出す一歩は1メートル。十歩歩けば10メートル。
1、2、3、4、5……数えながら歩き、何かにぶつかるとそこまでの歩数をマジックペンで空手着に書き記し、再び歩き出す。
時には転び、時にはクラクションを鳴らされ、私は歩き続けた。
結果、私はいくつかの擦り傷と、ご近所さんからいくつかの後ろ向きな称号を得ることができた。
あちらこちらにめちゃくちゃに数字が書かれた空手着。
それはまるで怪談「耳なし芳一」のように、忌々しい雰囲気を纏ったまま、タンスの奥底に封印された。
意味のないことなんて何一つない。
意味のわからないことをしても意味のわからない結果しか生まない。
それがわかっただけでも充分な今年の夏の自由研究だった。
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