スウィーテスト多忙な日々

スウィーテスト多忙な日々

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台風とタイフーンが似ているのは語源が同じだかららしいよ。なぁんだ。

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台風がいきなりやって来た。

 

 日本の入り口とでも思っているのだろうか。彼らは、台風は、日本に上陸する際、手始めに沖縄に挨拶に来ることが多い。

 気圧や海水温の影響で必然的にそうなるのだと言われているけれど、元台風の知人の話によるとそんなことではなく、ただ単純に観光がしたいだけなのだそうな。

 台風の命は短い。夏の風物詩のセミなんかよりも随分と。限られた命の中で充実感を味わいたいがために、彼らは週末の沖縄を起点とするらしい。つまり彼らの起こりは彼ら自身が決めているのだ。そう聞いた。

 

 その話を聞いて私は「自由意志」について考えた。例えば風呂に入ろうと腰を上げる時、例えば「あ」と声を発する時、例えばテレビを見ようと考える時。それは自分自身の考え、意志によるものなのか。あらかじめ決まっていた行動なのではないか。という問題だ。

 彼は、彼らは、ただ単純に観光がしたくて、そのためにわざと週末の沖縄に現れるのだと笑っていた。まるで自由意志があるかのように。けれど本当は、やはり気候の変化によって単純に発生しているに過ぎないのではないかと考えてしまう。そういう考え方をすると、彼らに自由意志は無いことになる。彼らが自身の意志だと思っているそれは、実はただの後付けに過ぎないのだと。

 それじゃあ私たちは? 私には自由意志があると、胸を張って言えるのだろうか。

 

 暴風域に入ってしまう前に、家が停電してにっちもさっちもいかなくなる前に、買い出しを済ませてしまおうと玄関に向かった。

 ゴム製のスリッポンを履き、玄関を開けると、既に暴力的な風が吹いていた。暴風に殴られて小さく分裂した雨粒の群れが、右から左へ飛んでいく。ああ、動くのが遅かった、と諦めて引き戸閉めかけた時、視界の端に鮮やかな緑色を見つけた。カエルだった。

 雨が降ったのが嬉しくて、彼はきっと喜んだのだろう。あちこちを飛び跳ねてはけろけろと歌ったに違いない。けれど、たっぷりと遊びつくした頃にはもう世界が変わっていた。彼はそれが台風だと知らなかったのだ。今はもうなす術も無く、風が辛うじてしのげる玄関先にこうして固まっているのだろう。

 彼には申し訳ないけれど、縮こまったその姿を可愛らしいなと感じてしまった。こういった光景を見て「萌え」を感じてほしいものだなあ、と思った。「萌え」という言葉に「可愛らしい」という意味は本来含まれていないらしいけれど。

 

 さて、アリがいる。

 わが家ではここ何日かで爆発的にアリが増えた。恐らく台風を早々に感じ取り、屋内に退避してきているのだろう。

 一時避難ならいいのだけれど、経験上そうはいかない。奴らは被害者としての立場を十八分じゅうはちぶんに利用して、我が家に新たな住処を作ろうとするのだ。

 見逃してはおけない。戸棚の上で置物と化していた殺虫スプレーの手を借りて、奴らを蹴散らし、その場をしのいだ。

 

 しかし、今回の奴らはしぶとかった。台風が過ぎ去ってもそこにいるのである。帰って欲しいのである。押しかけ女房である。

 武力無き解決はもはや不可能だ。私は薬局に走った。走ったと言ってもそれはもちろん比喩表現で、実際は庭の雑草をんでいる型落ちの競走馬、川太郎にまたがって向かったのだ。川太郎は倒れて道を塞ぐ大木をひょいと飛び越える。排水が追い付かず川のようになってしまった道をざぶざぶと渡る。ガラスが割れてそこらじゅうに散らばっている道では、やれやれと鼻を鳴らして背中の翼で宙を舞った。

 

 コロリ系の薬剤を購入し帰宅すると、早速彼らのメインストリートに仕掛けた。

 不人気。圧倒的不人気だ。御馳走の詰まった蛍光色のドームに見向きもせず、迂回路をとって縦列は続いている。客層の違いだろうか……。

 入ってくれないことには話しにならない。私は鮮やかな緑色をした半透明の屋根を外し、そこにハチミツを一滴混ぜた。するとどうだろう。iPhone30MAに並ぶ行列の如く、すぐにアリの行列ができた。

 特製ディナーを求める列は、途絶えることなく続いた。これが最後の晩餐になるとも知らずに……。

 

 次の日。行列は続いていた。

 また次の日。行列はまだ続いていた。奴らの数はさらに増えていた。

 私は成功したのだ。アリの養殖に。

 

 

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