共同研究
上下の瞼にガムテープを張り、部屋の電気を一番明るい状態にしている。劣悪な夢を見るために。
シルクのパジャマを身に纏って、シルクのシーツに身を横たえている。上質な睡眠を得るために。
おかしなことをしているわけではない。これは、私の仮説を実証する上で、なくてはならない大事な二策なのだ。
ホラー小説を読んでいると、少女が金縛りに遭い、心霊現象に襲われる一場面があった。中学生の、ホラー好きで陰気な少女だ。
聴くと呪われてしまういわゆる「都市伝説」を耳にしてしまったばっかりに、恐ろしい目に遭う少女。少女は霊を退けるための呪文を唱え、眼前に迫った脅威をなんとか振り払う。
すっかり疲れ果て、そのまま寝てしまった少女。目玉をもぎ取られるような痛みを味わった夜だったが、朝になるとその痛みも恐怖も消え去っていた。
なるほど。そういうことか。
栞を挟み、本を閉じる。そのシーンを読み終えた直後に、脳内にある仮説が浮かんだ。二つの一般論を組み合わせたものだ。
・夢は、睡眠の浅い時に見ることが多い
・金縛りは、体が寝ていて、脳だけが起きている特殊な場合に起こる
これは、二つとも睡眠に関連する通説だ。別の見解だと思っていたが、もしかするとこの二つは繋がっているのではないか。うまくいけば、長年の夢の実現に繋がるかもしれない。
自分の意見を整理すべく、私はノートに睡眠の段階を四つに分けて書き出した。
1.無 (深い睡眠)
2.夢を見る (浅い睡眠)
3.霊障を伴う金縛りに遭う (浅い睡眠)
4.霊障を伴わない金縛りに遭う (浅い睡眠)
.覚醒
書き出した四段階を見返すと、理解が深まった気がした。私は霊障、いわゆる心霊体験を味わいたいと切に願っている。そして、その実現が非常に難しいということを知っている。
そもそも、霊の存在をあまり信じていないのだ。見たことがないから。だから、金縛りになって枕元に髪の長い女が立っている、という恐怖体験を味わうことはできないのだと思っていた。
しかし、もしかすると。
浅い睡眠の中で、視覚だけを起こす。そうすることによって、夢と現実の境目を目にすることができれば。睡眠の深さを細かくコントロールし、浅い眠りをマスターすればあるいはーー。
私がそう話すと、区路渕は眉をひそめた。
「じゃあさぁじゃあさぁ、ピラニアも信じないのかよ。お前」
区路渕は爪楊枝の先を私に向けた。先端で、黒胡麻が串刺しになって死んでいる。
「はぁ? 意味が分からん」
私は区路渕にゴミ箱を突き出す。
「ピラニア見たことあるか? ないだろ? なのにピラニアは信じて幽霊は信じないのかよ」
こいつ、小学生かよ。ピラニアなんて空想上の生き物だ。人間の肉を噛み千切る魚なんているわけがないだろう。ケルベロスだとか、グリフォンみたいなもの。おとぎ話だ。
そもそも、霊がいるかどうか、それすら既に重要ではない。
「ピラニアなんていないぞ」
私がため息交じりに言うと、区路渕は「見とけよ」と残して部屋を飛び出していった。
何を見とけと言いたいのだろう。用水路でそれらしい雑魚でも捕獲してくるのだろうか。
しかし、待てど暮らせど、区路渕が戻ることはなかった。日付を跨ぐと、私は瞼にガムテープを張り付け、睡眠レベル調整の実験を始めた。
それから三日経った日曜のこと。
私は、連絡のつかなくなった区路渕のアパートを訪ねた。
勝手知ったる仲だ。私は玄関ドアの上にある小さな出っ張りに指をやって、ドアのカギを掴んだ。奴の部屋に用があるときは、いつもこうしている。
カギ開け、玄関に踏み入ると、スリッパが目に入った。フローリングの上で、浴室の入り口に向かって並んでいる。
嫌な予感がした。
私は靴のまま部屋に飛び込むと、スリッパを蹴散らして浴室へ向かった。果たして、その予感は当たっていた。
区路渕は浴槽の底で骨になっていた。腹の赤い魚が、スカスカになった区路渕の上を悠々と泳いでいる。
私はすっかり白骨になってしまった区路渕に優しく囁く。
「区路渕ぃ。ピラニア、いたんだね」
「こん中で寝たら、悪夢、見れるぜ」
骸骨の区路渕が、嬉しそうにカカカと笑った。
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