全てを知ってしまうと人生はひどくつまらなくなるらしいのです
ああ、夢でよかった、と醒めた後に心からほっとした。とても怖い夢を見た。
走っても走ってもついてくる化け物だとか、高い所から落っこちるような非現実的な夢ではない。退職後にもかかわらず、人手不足という理由で以前働いていた職場の助っ人に駆り出される夢だった。
私は以前、都心部にあるビジネスホテルのフロントで働いていた。客室数130室ほどの、中規模のホテルだった。
一度の勤務で25時間を過ごす。朝出勤して、帰宅するのは翌日の昼になる。消防士の勤務形態に近いらしい。出勤するとまずはチェックアウト部屋と連泊部屋の確認をして前日の当番から役目を引き継ぐ。それが終わると当日の宿泊客受け入れの準備をして、午後四時前後から宿泊客のチェックイン手続きを適宜行っていく。夜になると翌日の予約の確認、部屋の割り振りなどをして、朝になるとチェックアウト業務を行うというのが大まかな流れだ。
私は、ホテル勤務が怖かった。
ホテルというのは受け身の商売だ。客が来なくては話にならない。フロントマンにとって一番重要な役割は、その来客対応の「チェックイン」だ。そのチェックインが怖かった。
宿泊客が一気に来て、とんでもなく混雑したらどうしよう。予定外の当日予約が続けざまに飛び込んできて、さばききれなかったらどうしよう。どれだけ働いても、どれだけ職場内で立場が上がっても、それに慣れることができず、私はいつもドキドキしていた。勤務日を迎えるたびに心臓が早鐘を打つから、いつか勤務中に卒倒でもするのではないかと思っていた。クラッシュを起こした車のアクセルが戻らなくなって、ものすごいエンジン音が鳴りだすみたいに、私の心臓は高速で脈を打つ。それが怖くて、バックヤードに隠れて深呼吸をするのがルーティーンだった。
「あーた。これは何かしら。何か病気を持ってらしたの?」
デヴィル夫人は巻物のように伸びる印刷用紙の一部を指さして、私に尋ねた。ちょうどビジネスホテルに勤めていた頃のものだ。夫人が手にしているのは私の生涯心電図で、その名の通り生まれてから死ぬまでの心電図が継ぎ目なく一本の線になって印刷されている。ボクサーだとかの格闘家だと、もしかすると度々途切れた心電図になっているのかもしれない。見たことはないので知らないけれど。
ともかく、すべての人間は死んだあと、この心電図に照らし合わせて生涯を振り返ることになっている。
「仕事で、ものすごく緊張することが多かったんです」
夫人の手にした心電図を後ろから覗き込むようにして、自らの一生の出来事を順番に思い出していった。
小学生のことを思い出せば小学生の姿に。老年期のことを思い出せば背中の曲がった老人へと私の身体は姿を変えた。肉体に復帰することはもう二度とないのだと思い知らされる。
「これ、頂けるんでしょうか」
夫人の背中に問いかけた。例えばこの先何千年と魂のまま彷徨うことになっても、これがあればそこそこの暇つぶしができそうだ。
「だめよ」夫人は首を横に振った。「ガーランドにするの」
「ガーランド?」
「キャンプとかパーティで使うじゃない。三角に切った色紙を並べて吊り下げたりする飾りよ。知らないかしら? 万国旗みたいなもんよ」
毎週末、ここではパーティが開かれる。忙しい職員たちをねぎらって豪華な料理が振る舞われるのだ。私たち新参者の心電図は、その線を縁取って切り取られ、ガーランドとして使われるらしい。
私たちが生きた証、心臓の鼓動は、パーティの飾りだ。
平静もパニックも、ただの賑やかしのひとつにすぎない。
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