涙は雨に隠しましょう
〜前回までのあらすじ〜
福岡に引っ越したはいいものの、小トラブルに遭遇し続ける。ようやく生活の基盤が整ってきたところで、最大の試練が訪れた。
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曇天の空、それは彼が表情を変える途中の一場面でしかないことを私は知っていた。これから雨が降るのである。
自転車の受け取りをわざわざそんな日に行うという愚行は望んだことではないが、出品者の希望なのだから仕方がない。
「他の方にもお問い合わせをいただいているので……」と言われ、分が悪い戦いに応じざるを得なくなった。
冷たい風に刃向かうように自転車を漕いでいると、ポツポツと雨が降り始めた。そしてそれに気が付いたかのように、携帯電話が震えた。
「少し遅れるかもしれません」
クロさんからのショートメッセージだ。彼は福岡の唯一の友人で、数駅離れた街に住んでいる。私のアパートの最寄駅で一杯やらないか、
「了解です。僕も少し遅れるかもしれません」
返事を送信し、再びハンドルを握る。果たしてこの場所から最寄り駅まで「少し遅れる」程度で済むのか。
足を回し続けて数分。スーツ屋の軒先で足を止めた。
手袋を外し、携帯電話のロックを外す。するとホーム画面が出たかと思った途端に、画面がくらりと暗転した。
いや、わかっている。本当はわかっている。充電が切れたのだ。バッテリー残量はまだ残っていたはずだか、それでも何故か切れてしまった。それが全てであり、どうしようもないことなのだ。
大丈夫、大丈夫。やればできる子なんだから。道は繋がっているんだから。私は自分に言い聞かせた。
この自己暗示がよくなかった。
道路標識に従って、風雨に耐えながら漕ぐ。進め。進め。立ち止まる暇など一秒たりともありはしない。進んだ先に答えがないのなら、戻ってやり直せばいいだけだ。そう信じ、ひたすらに漕いだ。
しかし、ここだ、と思われる場所を進むものの、安堵できる光景には一向に出会えない。進んでは戻り、行き止まり、雨が責めるように私をぶつ。刻々と過ぎていく時間に焦り、冷静さの欠片さえも残っていなかった。
パトカーとすれ違う。
生きた心地がしなかった。
防犯登録も済んでいないママチャリに跨った男は、真っ黒なポンチョを羽織り握り拳程度までフードを絞っている。目と口がどうにか見えている程度だ。
これが怪しくないはずがない。
なるべく落ち着いてパトカーをやり過ごす。振り向いてみると、彼らはそのスピードを緩めることなくそのまま走り去っていった。福岡の警察はザルらしい。ホッと一息つき、歩道橋の下で足を止めた。
見ずともわかるほど顔がビショビショに濡れている。果たしてこれは雨なのか涙なのか、それさえもわからない。出発してから早くも一時間半が経過していた。
ここは一体どこなんだ。ようやく迷子を認めた私は、恥を承知でコンビニのドアを開いた。
「すいません、場所を教えて欲しいんですが……」
情けない顔で尋ねると、バラキだとかザラキみたいな名前の外国人店員がいぶかしげな表情で「スマホ持ってないの?」と答えた。
「電源切れちゃって……」
一層情けない顔で呟くと、彼はしょうがないと表情で答えて地図アプリを開き、道を示してくれた。いまいちよくわからなかった。
しかし唯一確かなことがある。私は随分と見当外れな方向に向かっていたようだ。180°とまでは言わないが、90°は進む方角がズレていた。
ポンチョを脱いで自転車に跨る。もはや雨なんてどうでもよくなっていた。
ザラキの言う通りに道を進む。そして迷う。はじめてのおつかいでげらげら笑っていたあの頃の自分に警笛を鳴らしたい。お前の番が回って来るぞ。
それからさらに三十分ほど迷い、ようやく帰宅できた頃には待ち合わせ時間から二時間以上が過ぎていた。
「何かあったのかと思ったよ」
ようやく電源が入りすぐに連絡をすると、クロさんは心配した声で言った。
「実は道の真ん中で……」
「ほうほう」
「カビゴンが寝ていて……」
「あちゃあ。なるほどそりゃあねぇ」
話の分かる男だ。