宙からのカレー
夢を見た。
大木にロープを括り付けたいのだけれど、ロープそのものが無い。ならばと私たちは頷きあい、道の傍らに植わっているサトウキビをしゃくりしゃくりと噛み始める。噛んで繊維をほぐすことで、大木に括り付けるための柔らかさを生み出そうとしたのだ。
目が覚めると、寝間着の首元がびっしょりと濡れていた。局地的豪雨が降ったらしい。それも随分と粘性のあるヤツだ。
ベッドを出てベランダの窓を開けると、雨の気配一つない透き通るような青空だった。シャワーを浴び、すぐに家を出た。
三連休だ。
大量に買い出しをして自炊三昧を決め込もうと決意し、スーパーマーケットに向かう。入り口で安売りの玉ねぎを目にした瞬間、メニューが決まった。この連休は華麗なる日々にしよう。
馴染みの顔ぶれをかごに入れて、ルーを選ぶ。何の気なしに甘口を手に取ってかごに収めたが、はたと気が付き、中辛に入れ替えてレジへ向かった。
「命の恩人は?」と問われることがあるとしたら、私は間違いなく「カレーです」と答えるだろう。
インタビュアーにいくら怪訝な表情をぶつけられたとしても、その答えはきっと変えない。何せその通りなのだ。命綱がなければ死んでいた人がいるように、私はきっとカレーがなければ死んでいた。多感な年頃のほろ苦い体験に傷ついた頃、あるいは仕事に対する緊張感で常に胸が早鐘を打っていた頃、食道が厳しい入場制限をかける時期が幾度かあった。そんな狭き門をも潜り抜けて私を生かしたのが、他でもない彼、カレーだった。
もしもこの世にカレーがなかったら、地球はもっと殺伐としていただろう。いや、そもそも、人類を何度リセットしても、カレーだけは変わらずに生まれる仕様になっているのかもしれない。
それぐらい私にとって、いや人類にとって最も必要不可欠なエレメントの一つなのだと思う。きっとそうだ。
私はよく甘口のカレーを作った。カレーが私にとっての命綱だったことも理由の一つだけれども、甘口を選ぶことは、他ならぬ祖母のためだった。
自分で料理を作れなくなってしまった祖母は、歯も弱り、痴呆も進み、食わず嫌いが増えていった。米、肉、野菜、どれか一つでも、ほんの少しでも硬ければ箸が進まなくなってしまうし、味付けが濃いと感じればそれもまた同じであった。そんな祖母のお眼鏡に適う数少ない料理が甘口のカレーだった。
でももう、そんなことは気にしなくてもいいのだ。歯ごたえのある肉を入れてもいいし、硬く炊いた米を使ってもいい。中辛にしたって当然誰にも文句は言われない。そんなわけで随分と久しぶりに中辛のカレーを作った。
ゆっくりと、じっくりと作った中辛のカレー。ごはんとルーを半々の割合で口に運び入れる。
よく噛んで飲み込む。甘みと辛みの混ざり合った程よい味わいが染み込んでいく。
どこからか、「ありがとう」と聞こえた気がした。
……。
家の中に、誰かいるぞ……。
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