スウィーテスト多忙な日々

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最後の竜の閃き

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この日、ここ山形県のスタジアムには、日本全国から猛者が集まっていた。
各々の県にて多くの者の中からふるいに掛けられた傑作達である。より速く走り、より高く跳び、より遠くに投げる。
そんな傑物達の祭典の場に、私たちはいた。

 

隣を陣取るのは達彦である。この場にいるはずではなかった私が現にこうしてここにいるのは、彼の情熱によるものだ。
私の選手としての実力は、つまり走り幅跳びの跳躍力は、凡の中でさえも埋もれる程度のものである。そんな私が、今こうしてここにいる。
「お前も絶対来いよ」
彼の強制により、ここにいる。

 

達彦は、今や絶滅したと考えられている、竜の子であった。

突飛な話に聞こえるかもしれないが、事実なのだから受け入れてもらうほかしょうがない。
竜の子。それは里の皆周知の事実である。「竜の子」と聞いてピンとくる者こそ今となってはほとんどいないものの、達彦がそうであることはまず間違いない。隠しようのない竜の片鱗を、達彦は折に触れて見せつけてきた。
空を飛ぶだとか、火を吐くだとか、ともすれば仕掛けじみた行動を私たち里の者たちはこれでもかと言うほど目の当たりにしてきた。
幼い頃から現れていたその超越した能力は、歳を増すごとに強大になっていった。今やもう、誰も疑う者はいない。達彦は竜の子だ。

 

にもかかわらず、竜の子が絶滅していないと知っているのは、私たちの住む里からせいぜい半径数キロ圏内の数少ない人々だけだろう。
勝手な意見であることは重々承知の上で言うが、今や地球は私たち人間のモノだ。少なくとも竜のモノではない。それがわかりきっている世の中で、竜を宿した人間は奇異の目で見られてしまう。例え小さな悪意でも――あるいは善意でも――、束ね纏めるとそれはそれは大きな力になる。
達彦の親族、そして私たちは、それを危惧していた。
一丸となり、私たちは、彼に眠る竜を隠し通すよう心掛けた。
それが功を奏したのだろうか。達彦の能力は、超早熟な選手のように、あるピークを境にがくりと鳴りを潜めた。
私たちはそれを慎ましく喜んだ。達彦の呪縛がようやく解けた、と。

 

しかし、達彦本人は違った。
己の手にしていた力を失うのは、彼にとっては大いに不本意だったのだ。望まざる消失だったのだ。
その身になってみれば、私だってきっとそう思うだろう。富豪は貧困を望まないし、若人わこうどは老化を望まない。己の持ち物を手放しで手放せる人間などそうはいないはずだ。

 

達彦は手首を脱力し、プラプラと振る。いよいよ始まるのだ。
選手たちはスターティングブロックの後ろに立ち、体をひねったり、屈伸をしたり、もも上げをして各々の体に躍動の用意を促す。

「いいか。スプリントは人間の究極だ。そして俺に――竜に繋がる重要なヒントなんだよ。頼むから邪魔だけはするな。邪魔するならぶっ飛ばすぞ」
達彦の光彩が真紅に染まって、紅い竜の証拠を見せつける。
私は有無も言えなくなった。
隣から、彼の荒い鼻息が聞こえる。高温の熱を含んだ鼻息だ。
達彦は最前列に陣取ったスタンドで、三脚を立てたカメラを覗き込んだ。

 

全国高校陸上、女子100m予選が始まる。
達彦は、これを撮るために二十万円のカメラと十二万円のレンズを買った。
鹿児島からはるばるやって来たのだ。
なんだかんだ言って、やっぱり男の子である。

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