スウィーテスト多忙な日々

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デデデでプププではない話

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「Aが落ちていた」と言って、松島が夜に訪ねてきた。22時を過ぎたころのことだ。不安そうな顔をしていた。


「どういう意味?」
私は眉を寄せて聞いた。意味が不明であることは勿論、松島が見せる顔そのものもよくわからない。
誰かのキーホルダーだとかネックレスのチャームが外れて落ちていたのだろうか。だとしたらとんだ無駄骨だ。

よちよち歩きの子どもだとか、あるいは賢い犬ならまだしも、三十過ぎのおじさんにそんなものを持ってこられてもろくにかける言葉もない。

訳も分からず黙っている私と、訳があるのかは知らないが黙っている松島。言いかけては口ごもる彼に、次第に腹が立ってくる。

帰ってくれるか、と言いかけた時、それを察してかようやく松島は話し出した。


変わらない一日だったという。いつも通り起きて、仕事へ行き、退勤すると職場の近くの食堂で晩飯をとった。いつも通りの日常に喜びはなく、かといって不満もない。当たり前の一日だった。
それならそのパートはいらないよなあ、とは思ったものの、ただならぬ雰囲気を纏った彼を目の前にしてそれを言うのは少し躊躇ためらわれた。何せ、やつのこんな顔は今まで見たことがない。
再び沈黙が流れる。十五年前のゲームでもこんなにロード画面は長くなかった。
「ちょっと見てくれよ」松島は意を決したように、しかし不安さを全面に貼り付けた顔で言う。「重たいんだよ」
それから用有りな猫がするように、彼は立ち上がって数歩進んでから振り返った。己の目で確かめろというわけだ。
仕方なく立ち上がって、私は彼に従うことにした。

 

松島はどうやら車で来ているらしい。アパートの部屋を出てエレベーターに乗り駐車場へ向かう間、彼は一言も口を開かない。
その間、私は私なりにその意味を考えてみた。
「エー」と松島は言った。だから私は単純に「A」と受け取ってペンダントトップかなにかだと勝手に思っていたのだが、他に何かあるだろうか。重い、というのが少し引っかかる。もしかすると「エイ」だろうか。
巨大なエイ。それが帰り道に落ちていたとしたら、それなりに驚きはあるだろう。しかしこの街には海もなければ水族館もない。あるのは公園の小さな噴水ぐらい。言うまでもなく淡水だ。
だからこそ、重いというほどの大きさのエイが落ちていたなら事件性はある。死んだエイをトランクに担ぎ込む松島の姿を想像すると少し笑えるが、ステーションワゴンバックドアを開けた先に死んだエイが乗っているのは随分気味が悪い。それに臭そうだ。
そうこう考えている内に車へと到着すると、松島は車の後方へ回り込んだ。

 

薄くスモークがかかっているリアガラスと新月のおかげで、中の様子は窺えない。何かとんでもないものが出てくるんじゃないだろうか。胸には少し好奇心が芽生えてしまっている。

「開けるぞ」

松島が覚悟を促す。そんなに大層なものなのか。

バフ、と小さく音が鳴り、バックドアが少しずつ上に開いていく。ようやく姿を見せたそれは、アルファベットの「A」だった。ただし、思っていたAとは少し違った。

大きくて、真っ赤なAだ。厚みもある。パッと見ただけでも重量感が伝わる。

「パチンコ屋の看板か?」

「パチンコ屋?」

「『MARUHAN』とか、それこそ『PACHINKO』のAとかさ」

「英字で『PACHINKO』なんて見たことないけど」

「いや、俺だってないけど……」

どっちだっていい。これがパチンコ屋の看板の一部であろうと、商業施設のそれであろうと、あるいは野生のAだろうと、知ったことではない。エイじゃなかったことにがっかりしたわけでもない。


私には、どうしても納得ができないことがある。

五十音の「を」とは、これは一体なんなのだろう。

日本語に不可欠なことはもちろん認めるが、そういうことじゃない。約束が違うのだ。

「五十音」の内の一音なのに、間違いなく二音使っている。何食わぬ顔で座を得ているが、「を」は明らかに「うぉ」である。「うぉ」に市民権を与えるなら、「くぉ」だとか「ぬぇ」だって黙っちゃいない。

松島が拾ってきた「A」は、私にしてみればどうだっていいことだ。知ったこっちゃない。

 一度口に出してみてほしい。

「ぬぇ」は間抜けだ。だけどかわいい。不意にふんずけられてしまったみたいな、間の抜けた音だ。

 

 

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