鷹は本当に爪を隠すか
私は脳無しだ。
部屋は汚い。衣類はもちろん、ありとあらゆる物がありとあらゆる引き出しや収納から放り出されている。
私は衣装ケースを根っこまで引き出し、頭を突っ込んでそれを探す。五段に重なった小部屋が三列連なるケースに次々と頭を突っ込む。順番も守らずに、目についた小部屋に何度も頭を潜り込ませる。
それはどこにも見当たらない。
ピンポン、とインターフォンが鳴る。
音の鳴った方に顔を向ける。視線の先には、照明の点いていない真っ暗な玄関がある。
私は視線を戻す。散らばった衣類を一つずつ持ち上げては、その下を確認する。何度も同じ服を持ち上げて、何度も同じ場所を探す。
ピンポン、とインターフォンが鳴る。
「すいません」と声が続く。
私は立ち上がり、玄関の戸を開ける。
男が立っている。男はダンボール箱に貼られた紙を剥がすと、私に言う。
「お願いします」
私は男の差し出した紙を見つめる。男の顔を見つめる。
「お願いします。あの。サイン」
男は言う。少し困った声で言う。
私は男からペンを受け取る。ここです、と示された場所へ一本の横線を引く。男のジェスチャーの通りに引く。
男は困惑した表情を浮かべ、首をひねりながらも、感謝の意を伝えて立ち去る。
私は玄関のドアを閉め、ダンボール箱を開封する。中には本が数冊入っている。
本を一ページずつめくる。本の間にも挟まってはいない。
私は外へ出る。冬間近のアスファルトは冷たく、裸足に伝わる感覚が冷たさから徐々に痛みに変わっていく。
落ち葉や道端に少し堆積した土の上を歩くと、冷たさが軽減されることに私の身体が気付く。
足元を目視だけで探しながら歩く。私の足は無意識にアスファルトを避け、落ち葉や砂や土の上を歩く。
初めのうちは僅かだった砂や土や落ち葉は、歩くごとに少しずつその面積を増やしていく。アスファルトを覆っていく。勢力はひっくり返り、いつしかアスファルトは消え去る。
いつのまにか私は人里を抜け、どこともわからない茂みの中を歩いている。
私は倒木の下や、大岩の裏、何かが潜んでいそうなほら穴の中を探す。
どこにも見当たらない。私は探し続ける。
茂みの中を歩いて行くと、小さな池に突き当たった。
池の水は澄んでおり、一つの波紋さえもない。
私は池を見つめる。私は池に背を向け、再び歩き出す。
背後で水が大きく動く音がした。何かが水を割る音がした。
私は振り返る。
目の前に半裸の男が立っている。長い銀髪の老人が、池の中に立っている。
老人は言う。
「あなたの探しているものは、この金の斧ですか? それとも、この銀の斧ですか?」
「私が探しているのは」
私は言う。
「違います。それじゃあありません」
老人は目を細める。満悦の表情を見せる。
「あなたは正直者だ。あなたにはこの全てを差し上げよう」
老人は背後に隠していた普通の斧を含め、三つの斧を私に手渡す。
老人は笑みを湛えたまま池の中へ沈んでいく。
私は池を見つめる。波立った水面は徐々に平静さを取り戻し、鏡面の静けさに戻る。
私は足元に三つの斧を放る。池に背を向けると再び歩き出す。
私が探しているのは斧ではない。
私が探しているのは、私の脳だ。
ぽっかりと空いた頭蓋内には、木々からはらりと落ちたイチョウの葉が二枚だけ入っている。
私は脳無しだ。