スウィーテスト多忙な日々

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さるたち しりとり それきり

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 兄が二人いる。

 長男は一つ年上。いわゆる年子としごの兄。
 次男は数時間上。いわゆる双子の兄。
 私たちは表面も内面も仲の良い三兄弟だった。

 どこでもそうだと思うが、兄弟というのは喧嘩をする。
 男兄弟なら当然で、歳の近い三兄弟となるとなおさらだ。
 例に漏れず私たちは喧嘩に明け暮れた。仲が良いから一緒に遊び、仲が良いがしょっちゅう喧嘩をした。一戦一戦が必死で決死の大勝負だった。今となっては可愛いものだと思うが、仲裁役をせざるを得ない母はたまったものじゃなかっただろう。

 当時のことを思い出す度、人類の進化の記録が遺伝子に刻まれているんじゃないか、と思う。サルが原始人になり、人類の歴史を歩んできたように、私たちも身体一つの原始的な争いから武器を使った争いを経て、わずか数年で言語を使った争いをするまでになった。そしてある時、ついに私たちは争いをやめた。
 賢明になったわけではない。疲れていた。体をぶつけることにも、言葉をぶつけることにも。結局のところ、私たちは誰も王者に君臨することができなかったのだ。勝者が決まれば勝者を引きずり下ろすための次の戦いが始まる。その繰り返しに嫌気が差した。
 それでもなお、勝と敗を分けることは避けては通れなかった。
 だから私たちはしりとりをはじめた。私たちの幼少期の大部分は、しりとりと共にあった。

 サルと人間を行ったり来たりしていた私たちにとって当初、しりとりという勝負は大した魅力を持っていなかった。にもかかわらずしりとりが主戦場となった要因は私にある。年少者でありながら、私はしりとりが一番強かったのだ。それが上二人の自尊心を傷つけたのだと思う。
 テレビゲームの順番を決める際、ドーナツを選ぶ順番を決める際、何かしら順位付けが必要になった際の勝負事は、いつからかしりとりに固定された。
 三兄弟の切磋琢磨が始まった。

 はじめ、兄たちはしりとりに負ける理由というのがきっとわかっていなかった。「ん」を言ったら負け。その程度の認識しかない二人は、児童文学好きの私の敵ではなかった。私は確実に勝ちを重ね、サルたちの嫉妬を得ていった。独擅場だった。
 しかし春は長くは続かない。次に覇権をとったのは次男だった。次男はとあるずる賢い作戦を思いつく。
 しりとりの戦術の一つに、「○攻め」というのがある。「る攻め」だとか「と攻め」だとか、同じ音で終わる単語を続ける。例えばしるし、障子、終止、女子、上司、という風に。私たちはそれをパワープレイと呼んでいた。
 次男はパワープレイ専用のノートを作った。大げさに言うと彼なりの攻略本だ。書き、学び、着実に勝ち星を増やした。しりとり高度成長期が始まる。

 負けっぱなしは長男である。しかし、ついに、時は来た。年子の兄である長男は、私たち双子より一足先に秘伝の書を手に入れる。
 革命が起きた。しりとり戦争に兵器が取り入れられた。辞書である。
 だが例え辞書を手にしたからといって、それをしりとりの最中に使用することはさすがに認められない。そこで長男は大胆な手に出た。「ゼウス」と呼ばれる作戦を彼は思いつく。
 結局のところ、どれだけ球数があるか。言葉のストックがあるか。それがしりとりの勝敗を分ける。パワープレイで襲い掛かろうと、全知全能の前でそれはただの一本鎗でしかない。長男の努力が始まった。ゼウスを実現すべく長男は辞書を読みに読み、覚えに覚えた。

 永い冬の期間を経て、ついに長男は頂点に君臨した。ゼウスをモノにしたのだ。強大な力を手に入れた彼は、時には言葉の雨を、時には難解な言葉の雷を落とした。
 まるきり歯の立たなくなった私たちは癇癪を起こし、暴動を起こし、サルに戻った。
 今ではもうすっかり退化しきってしまい、目につく人間に襲い掛かったり、木の実を食べたり、お尻のにおいを嗅ぎあって遊んでいる私たちを尻目に、長男は今も辞書を読んでいる。