スウィーテスト多忙な日々

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終わりの一幕

 

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「長女がもう、ダメかもしんないわ」

 

 年始の親戚回りも終わりこたつでくつろいでいると、何気なく、といった雰囲気でみかんの皮を剥きながら母が呟いた。
 母の長女というと、戸籍上で言うと私のことである。というかそもそも我が家に娘は私一人しかいない。しかし、今しがた母の言った「長女」が指している人物は、私のことではない。というか、人ですらない。
 母の言う長女とは、この家のことである。厳密に言うとこの家の一階部分、「みゆき商店」のことだ。

 

 母は幼い頃から体が弱く、しょっちゅう風邪やら流行りやまいにかかっていたらしい。
 成人してからも結婚してからもそれは変わらず、それが影響しているのか子宝にも恵まれなかった。
 子供を作るのを諦めた頃、母は商店を営むことを決めた。それがこのみゆき商店である。
 あらかじめ目をつけていたこの二階建ての物件に移り住むと、すぐに日用品や駄菓子を販売する商店を始めた。子を産むことができないのならせめて子供に触れ合う場所を作ろうと考えたのではないか、と私は思っている。

 

 当時は商業施設はおろかスーパーさえも多くない時代であったため、みゆき商店はそれなりに繁盛したらしい。
 店を切り盛りする過程で生命力を得たのか、母は少しずつ肉体的な健康を得た。そしてその結果、待望の子どもを授かったのである。それが私だ。
 私が生まれるまで、母はみゆき商店のことを「私の子」と呼んでいたらしい。もちろんごく限られた人間に対してだけだが。ちなみに「みゆき」というのは、女の子が生まれたら名付けようと当時の両親が思っていた名前だという。すんなり私が生まれていれば私の名前が「みゆき」になっていたというわけだ。
 だから家族の中の会話で母が言う「長女」とはみゆき商店のことで、「ゆかり」が私のことである。みゆきが長女で私も長女。おかしな家だ。
 その長女が今、というか随分と昔から、経営の危機に陥っている。

 

 きっと今はどこもそうだと思うが、品ぞろえも大して良くない商店にわざわざ足を運ぶ好き者はそうそういない。
 思い返してみると消費税が導入された当初とそれから数年はまだ客足があった。それから大型のスーパーが増えコンビニエンスストアが建ち、徐々に商店の力は衰えていった。抗えない時代の流れだ。むしろよくもった方である。

 

「お母さんもう、閉めちゃおうと思うの」
 母は依然何気ないていで呟く。
 母はあまり感情の起伏を表に出さない人間である。怒ったことなど数えるほどしか見たことがない。しかし嬉しさや悲しさに直面した時の母の感情は、私には手に取るようにわかる。だから母がみゆき商店を続けたいと思っていることも、私にはよくわかった。
「ねえ、今度手が空いたらでいいからさあ、閉店セールの垂れ幕でも作ってきてくれない?」
「わかった」
 私も普段通りを装って返した。みゆき商店に別れを告げる日が、遂に来てしまった。
 めでたい雰囲気の正月番組が、むしろ寂しさを煽るようだった。

 

 私は印刷会社で働いている。母が私に垂れ幕を頼んだのはそういう単純な理由からなのだけれど、閉店セールという余命宣告を一人で下すのはさすがに心細かったのだとも思う。
 母に頼まれた瞬間から、私は垂れ幕について考えていた。既製品にするつもりは元より無く、その代わりに一つの考えが浮かんでいた。
 50×140センチの真っ白い横長の幕に、黒字で一言だけ書いて印刷した。控えめなサイズの、控えめな一言が書かれた幕。翌日の内にみゆき商店の外壁にその幕を掛けると、商店にはたくさんの懐かしい顔が訪れるようになった。

 

 もちろん、新装出店した流行りの洋菓子店のような人気ぶりではない。 店の前を通りかかり垂れ幕に気が付いた人々が、様々な表情を抱えて入店してくるのだ。
 驚いた顔で駆け込んでくる人、悲しい顔でそうっと入店する人。中には入店するなり謝罪の意を述べる人さえいた。
 何食わぬ顔で入店する見知らぬ顔も見られたが、普段は素通りして入ったことすらないみゆき商店のことを気にしてくれたのだと思うと、それもまたとても嬉しく思えた。
「閉めないで、だって。困っちゃうよまったく」何人ものお客さんに閉店の取りやめを提案され、かつ新商品の取り扱いさえ要望された母は全く困っていない顔で言った。「あなたがへんなこと書くから、閉めるに閉められなくなったじゃないの、もう」
「ごめんごめん」
 私の方も全く心のこもっていない声で、むしろ意地悪い顔で笑いながら謝った。

 

 例え人間関係の希薄になった現代でも、例え他人であっても、私たちには瀕死の人間を救う優しさくらいは残っている。
「閉店するかもしれません」と書かれた幕は、ありがたいことに、たった数日で必要がなくなった。
 本当に誰にも必要とされなくなるまで、もう少し頑張って。お母さん、お姉ちゃん。