悪魔の所業
私は悪魔である。
願望の成就と引き換えに特定の対価を得るべく、日々人間に接触をしている。
三つの願いを、私は叶える。
真昼間の繁華街である。
某有名カフェチェーン店。スクランブル交差点の見える席に陣取り、気怠そうな、生意気そうな表情で、半ば寝そべるような姿勢で男がソファに腰掛けている。
サイドを刈り上げ、トップをジェルで固めたヘアスタイル。色黒で、肥満気味で、やたら高そうな紺ストライプのスーツを着用している。
ローテーブルを挟んだ向かいの席へ腰を下ろして私は言った。
「悪魔だ。お前の願いを言え。三つだ」
男はゆっくりと視線を私へ向ける。
爽やかさとは程遠い、不誠実で威圧的な表情である。
「は」
一音。男は発した。
「私は、悪魔だ。お前の願いを三つ叶える。一つ目は、なんだ」
私は言う。空間をこねる。スクランブル交差点は反時計回りに渦を描き、橙色に染まり始めた。
「なんだてめぇ」男は言う。外の風景に目を向け、顔をしかめる。「おい、なんだこれお前、何しやがんだ」
「お前の願いを言え。三つ叶える」私は答える。
人々は消え去り、建物は収縮を始めている。反比例するように、広告や看板の文字は膨張、明滅を開始した。
「言え」
再三の問いかけに、男は答える。
「悪魔? なんだ? ギャグかこれ。信じろってか」
男の思考を覗く。混乱しつつも平静を装い、半分、私の発言を信じている。
「そうだ」私は男に手をかざし、男の上体に浮力を与える。「お前の願いを三つ叶える」
慌てて立ち上がった男は、勢いそのままに私に殴りかかる。拳は私をすり抜け、男は無様に倒れこんだ。
男は意地が悪く、身勝手で、無責任で、理不尽で、不品行な性格である。
何故男が選ばれたのか。
運である。こういった人種は、時に強い運を持っている。悪運というものだ。世界は平等ではない。
「意味が分からん。なんで俺だよ。殺すのかよ」
「殺さない。お前の願いを叶える」
「なんのために」
「お前は権利を得た。それだけだ」
「引き換えにお前、なんかするつもりだろう」
「なにもしない」
嘘である。願いを叶え、対価を得る。しかしそれは、男にとって大したことではない。
男は倒れこんだ姿勢のまま私を睨んでいる。
私は口を閉ざす。
男はしばらく逡巡する。
私は男の頭の中に波を投げる。疑念を希薄化する波だ。
十秒経つ。男は私の言うことを信じた。男は不意に口を歪める。
「よし、じゃあ言うぞ」元の不誠実な表情を取り戻し、私に人差し指を向ける。「犬を出せ」
「犬でいいのか」
「ああ、さっさとしろ」男は言う。私を侮辱する。「出せないか?」
「わかった」
私は頷く。風船が膨らむように、中空から犬が現れる。
驚きの表情を一瞬見せた男は、取り繕うように言い足した。
「子犬にしろ」
私は犬に命令を与える。犬は子犬に退行する。
「二つ目の願いを言え」私は言う。
キャン、と子犬が吠え、男に飛びつく。男は犬を蹴飛ばす。キャン、と子犬が鳴く。
「願いを言え」私は言う。
「もう一匹犬を出せ」
「また、犬でいいのか」私は確認する。「どんな犬だ」
「ロボットの犬を出せ」
足元が波打ち、犬が現れた。半永久的に動くロボットの犬だ。
クゥン、とロボットの犬が鳴き、首をかしげる。
「三つ目の願いを言え」私は言う。
男は嫌らしい顔をした。今までの人生の中で千五百七回、男はこの表情を作っている。
「飼え」男は言った。
「何?」
「お前がこの犬を飼え!」
キュッ。
空間が音を鳴らし、男は消え去った。願いを使い果たし、元の次元へ戻ったのである。
私は、悪魔である。
三つの願いを、私は叶える。
両脇に一匹ずつ、犬を抱えている。