スウィーテスト多忙な日々

スウィーテスト多忙な日々

誰かの役に立つことは書かれていません……

きっと君も驚くよ

f:id:tthatener:20220411234025j:plain

「あ、あぁあ、あぁ〜」
 力無い悲鳴は、獲物を求めて彷徨う蚊の羽音にかき消されるほど弱々しく地面を這うのでした。

 


 肩の調子が良くありません。それは今に始まったことではなくて、思い返せば青年期。高校時代まで遡ることになります。私はバレーボール部に所属していました。
 物心ついた頃からひょろ長い私は、その身長を生かそうと思ったわけでもなく、友人に付き合う形でバレーボール部に入部しました。

 

 クラゲに毛が生えた程度の筋肉しか持ち合わせていなかった私は、サーブすらまともに打てませんでした。しかし私も人間の端くれ。身体の使い方や重心移動、遠心力を駆使し、いつしか人並みにプレーができるようになりました。二年三年と続けると、レギュラーメンバーになったりならなかったりして、それなりにまともにプレーを続けました。

 

 惰性で、という程でもありませんが、高校に入学してもバレーボールを続けました。
 しかし、高校二年生を終えようかという頃、肩に違和感が生じだしたのです。
 思えば、それはきっと筋肉や脂肪があまりにも不足していたせいではないかと考えられます。肩の違和感は痛みへと変わり、いつしか慢性的なものへと変わってしまったのです。
 整体にでも行ってみようか。
 もう随分と運動の機会も減ってしまった今になって、ようやくそう思い至り、整骨院の世話になることにしたのです。


「身体の芯からほぐします」
 優しい筆遣いでそう書かれた整骨院のドアを開けると、銀縁メガネに口ひげを蓄えた、短髪の整体師が出迎えます。
「こんにちはぁ」
 物腰の柔らかい、警戒心を削ぐような口調です。
「あ、あの、肩です」
 やはり童貞です。初めての整骨院に臆してしまって、名乗るつもりが肩紹介をしてしまいました。

 

「うふふ」
 整体師は私の焦りようを見て笑います。笑い方がちょっとアレだな、と感じます。大丈夫でしょうか。
 どうにか予約名を告げた私は、早速施術台に案内されました。
 整体師は私を台に仰向けにさせ、肩を開いたり閉じたりします。恐らく不調の原因を探っているのでしょう。
 ある程度動かすと、今度はうつ伏せになります。

 

「歪んでますねぇ」
 整体師はねっとり言って、肩や腕、腰をこねくり回します。
 そうか、歪みが原因なのか。そう言われると、思い当たる節が山ほどあります。片足を重心に立つ癖があるし、文武全てを左手に頼っている。習字さえも左手を使い、野球となると左手でボールをキャッチし、すぐさまグローブを脱ぎ捨てて左手で投げる。生粋のレフティなのです。そんな人間の体が歪んでいないはずがありません。
 整体師は時に優しく、時に力強く身体を正していきます。さすがに気持ちの良いものです。早くも眠くなってきました。
 彼は言いました。
「じゃあそろそろやっていきますねぇ」

 

 な、なんだって。私は少したじろぎました。本番はまだ始まっていなかったのか。
 身体を起こされ、今度は台に座る形になりました。目の前の大きな鏡に二人の姿が映ります。
 整体師は手刀のようにピンと伸ばした手指を、私の首の付け根に突き立てました。
「あぁ〜」
 私はついつい情けない声を上げてしまいます。
 ズブズブ、ズブブブブ。
 一体どういうトリックでしょうか。なんと整体師の指が、そして拳が、私の右肩から体内に入っていくのです。鏡越しに見える施術に、私は驚愕します。


「あぁあぁぁ〜〜〜!!!」
 あっという間に、手首まで入ってしまいました。
「あっははぁはぁは」整体師は笑います。独特な節回しです。「入っちゃいましたねぇ」
 なんだ。なんなんだこれは。
 整骨院童貞の私でもさすがに気付きます。これはおかしい。整体師の手はズブズブと私の中を掻き分けて進みます。

 

「な、なんなんですかこれ。オエッ」
 彼の手が何かしらの臓物に直接触れて、私は思わず嘔吐えずいてしまいました。
「そろそろですよぉ」整体師は構わず進みます。「あ。あったあったぁ」
 感覚でわかりました。ガッと掴まれたそれは、私の脊椎でした。
「これが芯ですぅ」
「骨のこと芯って言うな!」
 私は叫びました。しかし、腹に力が入らなくて、声は出来の悪い紙飛行機の様に墜落します。こいつ、骨のことを芯って言うタイプだったのか。


「身体の芯からほぐしますからねぇ!」
 整体師は上気した声で言います。これは施術じゃない。プレイです。
「あっ!」突然、整体師が叫びました。「なんか入ってる!」
 何? 体内に? 何が入っているんだ? もはや私の声は形にすらなりません。
 ズブズブズブっ。
 体内から蛇が逃げ出す様な感覚がありました。彼が手を引き抜いたのです。
 虚ろな顔で振り返ると、整体師の手には青い、四角い、スケルトンのプラスチックが握られていました。


「MDが入ってました…」
 驚きの表情で、整体師は呟きます。
 MD。ミニディスクです。
 何を言うのだと思われるかもしれませんが、それは紛れもなくMDで、そして紛れもなく、中学生の頃に失くしてしまった、私のMDでした。
 上部のラベリング部には「BE TOGETHER/鈴木あみ」と私の字で書かれています。

 

 BE TOGETHER。一緒にいる、か。
 鈴木あみはそのタイトル通り、私とずっと一緒にいてくれたのです。
 恥ずかしながら私は、ほんの少し、涙ぐんでしまいました。思い返してみると、一体何の涙なのかよくわかりません。

 

「アミーゴ!」
 整体師は、両手の親指を私に向かって突き出しました。鈴木あみのニックネームでもあり、スペイン語で「友達」という意味です。
「エネミーゴ!」
 私も同じように、親指を突き出して笑いました。鈴木あみのニックネームではありません。スペイン語で「敵」という意味です。