スウィーテスト多忙な日々

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人だかりの話

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 彼女に腕枕をしながら、私は山のことを思い出していた。


 私の故郷には、春になると桜が咲き、秋になるとモミジやカエデ、カツラなどが鮮やかな紅葉を見せる山がある。
 山の名前を「黒山」という。
 木々が色づく季節には遠方から多くの観光客が訪れて、彼ら彼女らの服や車の色が加わると、山はさらに鮮やかで賑やかな光景を見せる。

 

 久しぶりに帰省したある日、実家の縁側でその黒山を遠くに眺めていると、庭で花壇の手入れをしている祖母が呆れ声を上げた。
「あぁあぁ。まぁたあんなに人が集まってら」
 垂れ下がった瞼のせいで細くなった目をさらに細めて、祖母はため息をつく。
 ぎっしりと生えた木々の隙間から、時々青い色や白い色が覗く。黒山の山道を走る車たちだ。
 しっかりと舗装されたアスファルト道がありながら、黒山を進む車やバイクや自転車は誰もがみなその速度を緩める。
 黒山には人を引き付ける魅力があるのだ。観光目的であろうと、そうでなかろうと、黒山を通る人々は黒山の持つ魔力に足を止められてしまう。

 

「ばあちゃんは嫌なん? 観光客」
 腰に手を当てて山を睨む祖母に向かい、私は尋ねた。
「そんなんじゃないけどね」
 祖母は私に困ったような顔を向ける。
「マナーが悪いやつらでもいた?」
「いんやぁ。そんなわけでもないよ」

 

 何か答えずらそうな、歯切れの悪い返答だった。祖母は私から顔をそむけるように、山の方を向く。
 迷惑でもかけられたのだろうか。黒山を見つめながら、私は勝手にそう解釈した。それから私はしばらくの間、何も発さずに黒山に目を向け続けた。
「昔はなぁんもなかったのよ」
 同じように黒山に顔を向ける祖母が、ぼそりと一言こぼした。
「なんも? はげ山だったの?」
 頭に浮かんだ言葉を口に出してから、私はその言葉に首を捻った。そもそも、はげ山というものはどういうものなんだろうか。三十数年生きてきて、私ははげ山というものを見た覚えがない。きっと木々を切り過ぎたり、草木が育つ栄養が無いせいで地面がむき出しになっているような山を指すのだろうが、自然破壊が危惧される今の世の中においてもそんな山は見たためしがない。
 人々、自然共にそれだけ貧しい時代がこの村にもあったのだろうかと考えていると、「いや、なぁんもなかったのよ。ほんとに。山もね」と祖母がその考えを否定した。

 

「あっこはね。ただの野原だったのよ。昔はね」
「あそこが?」信じられずに、私は尋ねる。「なかったって、あの山もなかったわけ?」
「そうだよぉ。なぁんもなかったのよ。だから誰も近づかんかった。だけどね……」
 言ってから、祖母は口ごもった。続きを促してくれ、という表情で私を振り返る。
「だけど?」
 望み通り、私は祖母を促した。

 

「だけど、ある時ね、へんな噂がたったのよ。妙な噂よぉ。空気人間がいるって」
 空気人間、と祖母は繰り返す。
 都市伝説めいた単語が祖母の口から出たことに違和感を覚え、私は眉を寄せた。
「空気人間?」
「あぁ。空気人間。空気人形って言った方が正しいんだろうけどね。浮き輪みたいに、空気が入った人形よぉ。だけどあの時はみんな、空気人間って言ったのよ。だってねぇ。あんまりにも人間そっくりだったんだもの」
「ばあちゃんも見たの?」
「見たよぉ。一回だけね。口をぽーって開いた、色っぽい女の人だったよ。ありゃあなんだろうねぇ」

 

 中空を睨む私の頭には、一つのイメージが浮かんでいた。
「それ、ばあちゃんが何歳の時の話?」
 私は尋ねた。
「何歳だかねぇ。うんと小さかったからねぇ。十にも満たないかもしれん」
 祖母の回答に首を捻る。彼女は九十を越えていて、つまりその話は八十年以上も前の出来事ということになる。そんな時代にダッチワイフがあったのだろうか。
 話を聞くに、空気人間とやらはどう考えてもダッチワイフとしか思えなかった。もしかしたら祖母はボケてしまったのだろうか。いや、そもそも黒山とダッチワイフに何の関係があるのだろうか。私は頭の中で手を止めた。

 

「その空気人間がどうしたの?」
 私は聞いた。祖母の背後にそびえる黒山。昔はそこに何も無かった。そして突如現れた空気人間。そんなおとぎ話のような不思議な話に、私は年甲斐もなく夢中になってしまっていた。
「それでねぇ――」
 どこか怪談めいた雰囲気で、祖母は再び話しだした。

 


つづく

鷹は本当に爪を隠すか

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 私は脳無しだ。

 

 部屋は汚い。衣類はもちろん、ありとあらゆる物がありとあらゆる引き出しや収納から放り出されている。
 私は衣装ケースを根っこまで引き出し、頭を突っ込んでそれを探す。五段に重なった小部屋が三列連なるケースに次々と頭を突っ込む。順番も守らずに、目についた小部屋に何度も頭を潜り込ませる。
 それはどこにも見当たらない。

 

 ピンポン、とインターフォンが鳴る。
 音の鳴った方に顔を向ける。視線の先には、照明の点いていない真っ暗な玄関がある。
 私は視線を戻す。散らばった衣類を一つずつ持ち上げては、その下を確認する。何度も同じ服を持ち上げて、何度も同じ場所を探す。

 

 ピンポン、とインターフォンが鳴る。
「すいません」と声が続く。
 私は立ち上がり、玄関の戸を開ける。
 男が立っている。男はダンボール箱に貼られた紙を剥がすと、私に言う。
「お願いします」
 私は男の差し出した紙を見つめる。男の顔を見つめる。
「お願いします。あの。サイン」
 男は言う。少し困った声で言う。
 私は男からペンを受け取る。ここです、と示された場所へ一本の横線を引く。男のジェスチャーの通りに引く。
 男は困惑した表情を浮かべ、首をひねりながらも、感謝の意を伝えて立ち去る。

 

 私は玄関のドアを閉め、ダンボール箱開封する。中には本が数冊入っている。
 本を一ページずつめくる。本の間にも挟まってはいない。

 

 私は外へ出る。冬間近のアスファルトは冷たく、裸足に伝わる感覚が冷たさから徐々に痛みに変わっていく。
 落ち葉や道端に少し堆積たいせきした土の上を歩くと、冷たさが軽減されることに私の身体が気付く。
 足元を目視だけで探しながら歩く。私の足は無意識にアスファルトを避け、落ち葉や砂や土の上を歩く。

 初めのうちはわずかだった砂や土や落ち葉は、歩くごとに少しずつその面積を増やしていく。アスファルトを覆っていく。勢力はひっくり返り、いつしかアスファルトは消え去る。
 いつのまにか私は人里を抜け、どこともわからない茂みの中を歩いている。

 

 私は倒木の下や、大岩の裏、何かが潜んでいそうなほら穴の中を探す。
 どこにも見当たらない。私は探し続ける。
 茂みの中を歩いて行くと、小さな池に突き当たった。
 池の水は澄んでおり、一つの波紋さえもない。

 

 私は池を見つめる。私は池に背を向け、再び歩き出す。
 背後で水が大きく動く音がした。何かが水を割る音がした。
 私は振り返る。

 

 目の前に半裸の男が立っている。長い銀髪の老人が、池の中に立っている。
 老人は言う。
「あなたの探しているものは、この金の斧ですか? それとも、この銀の斧ですか?」
「私が探しているのは」
 私は言う。
「違います。それじゃあありません」

 老人は目を細める。満悦まんえつの表情を見せる。
「あなたは正直者だ。あなたにはこの全てを差し上げよう」
 老人は背後に隠していた普通の斧を含め、三つの斧を私に手渡す。

 

 老人は笑みをたたえたまま池の中へ沈んでいく。
 私は池を見つめる。波立った水面は徐々に平静さを取り戻し、鏡面の静けさに戻る。
 私は足元に三つの斧を放る。池に背を向けると再び歩き出す。

 

 私が探しているのは斧ではない。
 私が探しているのは、私の脳だ。
 ぽっかりと空いた頭蓋内には、木々からはらりと落ちたイチョウの葉が二枚だけ入っている。 

 

 私は脳無しだ。