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私には祖父がいない。これは少し不思議な話だ。
私には両親がいない。これには事情がある。つまり不思議なことではない。
私が三人目の子ども、次男として生まれてから三、四年ほど経ってから、両親は離婚した。何があったのか本当のことはわからないが、とにかく一家から脱落者が出た。母だ。何せ小さい頃の出来事だったので、母の名前さえも覚えていない。それどころか、母が家を去ったことを理由に泣いたかどうかさえも覚えていない。きっとわんわん泣いたのだろうが、それほど遠くて頼りない記憶の中の出来事だ。
次に父が脱落した。父は、我が家どころかこの世から脱落してしまった。というか昇天してしまった。オートバイでの事故死だった。
幸か不幸か、私はそれさえもあまり覚えていない。小学校に就学する頃にはもう仏壇に手を合わせていたので、母の脱落からきっと二年も経たない内の出来事だったと思う。
それで我が家は父方の祖母と、兄と姉と私の四人暮らしになった。
だから、私が私としてしっかりと自分の記憶の引き出しを持つようになった頃には、我が家は既に四人家族になっていたのだけれど、千切れた記憶の破片は引き出しの隅に残っているし、写真も残っているので父がいたことは間違いない。成人して、しばらく経ってから母にも会った。だから母がいたことも間違いない。
しかし、祖父はいない。記憶の片隅にもない。もしかしてあのおじいさんが祖父だったのでは、というような思い当たる人物はどこにもいないのだ。
一時期、祖父がいないことを私は不思議がったが、祖父は元々いなかったのではないかと思うようになった。一切の影を残していないのだから、そう考えるのが自然だ。元々いなかったのだから、影など残りようもない。
ということは、祖母は父を単独で産んだことになる。無性生殖だ。それに関してはあまり詳しい知識を持ち合わせていないが、そういうことになるだろう。
無性生殖というものは、自分のクローンを生み出すようなものだ。そう考えてみると新たな不自然な事実が浮かび上がる。
祖母の作り出したクローンが男性であるはずがない。
つまり、父は父ではなかった。
そう考えると、父は本当は女だったということになる。だから、帳尻を合わせると離婚した母の方が男だったということになる。父が母で、母が父。
父が間違いなく父だったと考えてみることもできなくはないが、そうすると今度は祖母が実は男、つまり祖父だったということになってしまう。それはない。祖母は間違いなく祖母だ。数少ない記憶を探っても、祖母におちんちんはついていなかった。
となると、やはり父は女だったと考えるのが妥当だ。
二世代が必死につないだ命のバトンを、私はいつ次に繋げるだろうか。
それが叶えば、探し求めていた「祖父」に私自身がいつかなれるのかもしれない。
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玄関先でキングコブラと鉢合わせた時のための心構え
例えば朝、寝ぼけ眼でふらふらと玄関の戸を開けたとして、そこにフードを広げた臨戦態勢のコブラが構えていたらひとたまりもない。しかし、玄関先にコブラがいる可能性を念頭に置いている人なんて、ここ日本にはきっといないだろう。
その危険性にいち早く気が付いたので、私は血清を持っているわけでもないのに近隣住民の中でコブラに噛まれて死ぬ危険性が一番低い。これはすごいことだ。
軒先にUFOが着陸するのを想定していれば「おう、ちょっと乗せてってよ」と片手で頼み込めるように、想定外の事態をいくつも考えておくというのは好機を逃さないための対策でもある。ただ単にリスクを避けるという意味合いだけではない。
数年前、我が家の軒先に、「ハブ」という毒蛇が出現したことがある。それはそれはマタンキ*1の縮み上がる思いがした。
ハブを見つけたら逃がしてはいけない。私は車庫に急ぎ、魚突き用の銛 を手に取り、それでヤツを突き刺した。一メートル少々と大きくはないものの、ハブの力は強く、それ以上に下手したらこちらが返り討ちにあってしまうという恐怖で、私は必死に力を込めたのを覚えている。寅さんこと車寅次郎だってハブに噛まれて死んだのだ。
タマタマ気が付いて噛まれることはなかったものの、気が付かずにダッシュでもしていればきっとヤツの毒牙が私のふくらはぎに食い込んでいたことだろう。ほんとうに、たまたま助かったのだ。だから今でも、特に夜の道では、ハブがいる可能性を考えて視線を巡らせている。
それならばそれで十分じゃないか。ハブだってコブラだって一緒だろう、と言われるとそれは違う。
一口に毒蛇と言っても、彼らの放つ毒は決して一つの種類ではない。神経の働きを阻害する神経毒と、血液の働きを阻害する出血毒があり、さらには同種の毒蛇であっても生息地によって毒の成分が違ったりするらしい。また、神経毒をもっている種が出血毒を併せ持っていることもあるし、出血毒をもっている種が神経毒を併せ持っていることもある。さらに言うと、噛まれずともその毒牙にかかる危険性がある。とあるコブラは、毒液を獲物の顔めがけて噴射するのだという。それが目に入ってしまえば失明の危険性もある。
だから、つまり、武井壮が正しいということになる。
彼はクマやトラやサイの倒し方を想定してコミカルに紹介していたが、何も考えずにけらけらと笑っていた私たちと比べると、本当にそれらと対峙した時に硬直している時間ははるかに短くなるはずだ。たった一度でも、あらゆる想定外への対策を本気で考えるのはきっと身になることに違いない。サラリーマンは常に、ビジネスソックスで武器を作る準備をしておくといいい。
しかし、これだけ言っておきながら、私は玄関先に血だまりを作って倒れている。
初見のビートたけしがスコップで殴り掛かってくるなんて考えていなかった。
これからの時代、どれだけあらゆることを「本気で」想定できるかが生死を分けるのだ。
気をつけろ。たけしは、群れだ。
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