スウィーテスト多忙な日々

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へぇ、と言わせたひ

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「屁意」という言葉は無い。ご存知だろうか。

 

スーツでカッチリときめたビジネスマンは、「うんちしたい」とか、「おしっこしたい」などとは決して言わない。言えない。
便意、あるいは尿意という言葉があることによって、「失礼、ちょっと便意が……」とその場をスマートに切り抜けられている。
それに次ぐように屁意という言葉があってもよさそうなのに、どうして無いのだろうか。

 

「屁でもない」とか「屁にもならない」とか「屁理屈」という言葉があるように、屁というモノ、あるいは現象は随分と軽んじられている。
屁が出たところで、それがどうした。と思われているのだ。大きな音で出ようが、澄ました音で出ようが、断続的に出ようが、屁が出るとそれこそ「ぷぷぷ」と笑われてしまう。ただそれだけの存在だ。

 

「屁意」という言葉が無い以上、屁意を訓読みで「へい」と呼んでも、音読みで「ひい」と呼んでも差し支えはない。
しかし、屁意という言葉が無い以上、「へい」とか「ひい」とか口走ったところで、その意思が正しく伝達されることもない。
そして、屁意という言葉が無い以上、どちらの呼び方をしてもあまりしっくりと来ない。が、どちらかというと「へい」の方が馴染みやすい気はする。

 

「へい」と呼んでも「ひい」と呼んでもよい、とは言ったものの、「それはどうかと思う」という声も少なからずある。
市民権がないのだからどちらで呼んでもよい、というのは、確かに破滅的な意見かもしれない。例えば受験勉強をしているとして、どうせ受からないのならばと勉強を辞めてしまっては、次のチャンスをモノにすることはできない。

だから、屁意に市民権を与えたいのならば、しっかりと前例・様式に則って使ってやることが将来に繋がるのだと思う。

 

では、その前例とやらは何か。
便意」、「尿意」は、どちらも音読みだ。
コロコロと意見を変えるようで悪いが、それらの前例に従って考えるなら、「『へい』の方が馴染みやすい」という主観的な意見はすぐに撤回しなければならない。馴染みやすい、馴染みにくいなんてものは大した問題ではない。便意、尿意に続くつもりがあるのなら、違和感があろうとなかろうと「ひい」と読んであげてこそようやく屁意のためになる。何がどうだったとしても、時間という超能力が私たちをいずれその読み方に慣れさせてくれることだろう。
だから、「屁意」は「ひい」と読むべきである。
大事な会議中、デート中、その他様々な重大な場面で。屁がこきたくなった際は、「失礼、ちょっと屁意ひいが……」と言うといい。スマートにガス抜きができるはずだ。

 

「そういうのを屁理屈と言うんだ」
せっかく論を煮詰めたのに、そうやって私たちに冷たい言葉を投げかける者がいる。屁の役にも立たないと思っているのだ。
なんの。そんなことはない。
例えこれが屁理屈だろうと、きっと屁の役には立つ。それはそうだ。そもそも屁そのものの話なのだから。そうやって、持たざる者たちに手を添えてやると、いつかきっと世界は屁をこいたように笑えるのだと思う。

 

 

人だかりの話 2/2

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tthatener.hatenablog.comつづき

 

「怖いだとか、浮浪者が住み着いてるだとか、そういうことじゃなくてね、行ったってなぁんもありゃせんから、誰も近寄らん場所だったのよ。あそこは。ただ雑草が生えてるだけだもの」
 後ろ手を組み、黒山の方を振り返りながら、当時を思い出すように祖母は言う。
「そこがなんで山になったわけ」私は当然の疑問を口にした。「じゃあ、あの山は人工の山ってこと? そんなの聞いたことないけど」
 そんなはずがないだろう、と思った。人の力でどうこうできる大きさではない。それに、たとえあれが人工物だとしたら、もう少し規則的な造形であったり、効率的に通過できる道を作るはずだ。幼い頃から幾度となく通った黒山は、自然そのものにしか見えない。

 

「人だかりの山、っちゅうのは聞いたことがあるね?」
「うん」
 私は頷く。昔、まさに祖母の口から聞かされた言葉だ。学校を終え、ランドセルと引き換えに自転車に飛び乗ると、祖母が私に忠告することが度々あった。人だかりの山には行くなよ、という祖母の言いつけを、私は守ったり守らなかったりしていた。何があるというわけでもないのに、何か引力のようなものに引きつけられるように足が勝手に向かうことがあった。
「本当はな、あっこは、あれは山じゃないんだよ。人だかりなんだよ」
「どういうこと?」
「黒山はね、あれは山じゃないんだよ。ありゃ人さ」
「うん?」
 全くもってぴんと来ない。虫取り網で煙でも掬おうとしているかのように、私の思考は祖母の言葉を捕らえられずにいる。

 

「黒山の人だかりってこと?」
 私は尋ねた。どこにどう繋がるのかはわからないが、「黒山」に「人だかり」と来れば、頭に思い浮かぶ言葉はその一つである。
「違うよ。違うというわけでもないけどね」
 祖母は曖昧に言って、説明を進める。
「空気人間に集まった人間がさ、山になっちまったのよ」
「なんだよそれ」私は笑った。「意味わかんないよ」
「人が消えて、その分だけ黒山が大きくなっていったのよ。野原が少しこんもりしたかと思ったら、どんどん膨れ上がってね。黒い丘になって、山になっちまった」

 

 どうしてそんな嘘をつくのだろうか、と私は釈然としない感情を抱いた。思い付きで考えた嘘なら笑い飛ばせばいいが、祖母はそんな冗談を言うような人間ではない。
 嘘をつかなければならないような、口外すると都合の悪い出来事でもあったのだろうか?
「ばあちゃん。そんな嘘はつかなくていいよ。話したくないことがあるなら、これ以上は聞かないしさ……」
 私が気まずい苦笑いを浮かべると、祖母はそれに悲哀を足した表情を見せた。
「髪の毛ってのは、分解が遅いんだな……」

 

 それ以上追及をする気になれず、その話はそこで流れた。翌日になって帰宅するまで、祖母も私も話を蒸し返しはしなかった。
 帰路、頭の中は黒山のことでいっぱいだった。祖母の話をすべて受け入れるならば、黒山はまさに人だかりで、人だかりの山ということになる。
 髪の毛は分解されにくい、ということ。黒山特有の山肌の、その色。
 空気人形というのは、何かの比喩だったのか。祖母が旅立ってしまった今、知ることはもう叶わない。

 

 あの話は本当だったのだろうか。
「何か知ってるかい」
 私は腹に頼らない小さな声で呟いた。
 隣に横たわる私の彼女なら、なにか知っているだろうか。
 隣に横たわる、人工の、私の彼女なら。