死ぬかと思った
沖縄県ではどこに住んでいても三十分ほど車を走らせれば海へ行ける。
そんなわけで沖縄に住む男の趣味の上位に食い込むのが「釣り」である。
数年前に私が味わった釣りの恐怖体験を語らせていただこう……
何もすることのない週末、ふと思い立ってルアーフィッシングを始めることにした。
ご存じ無い方のために簡単に説明すると、ルアーフィッシングとは針に餌をつけて行う釣りではなく、「ルアー」と呼ばれるプラスチックや木材、金属でできた疑似餌をそれらしく動かして餌のように見せかけ魚を釣るという釣法である。
ある日、私はいわゆる「磯」と呼ばれるような、陸地から険しく続く岩場の先端で大海に向かいひたすらルアーを投げていた。
単独釣行で、近くにいるのは釣り人二人組と、少し離れたところに防波堤の工事をしている建設作業員の方が数名。
投げても投げても全く反応は無く、魚が釣れるのが先か、日が暮れるのが先か孤独な闘いは続いた。
1時間、2時間、3時間……無情にも時間だけが過ぎていく。
そろそろ切り上げようかと思っていた矢先、ドラマは起きた。
突然しなる竿先、勢いよく飛び出す糸、リールがギギギと悲鳴を上げる。
その時間わずか5秒。私のルアーは得体の知れない何かに奪われてしまった。
興奮した私は時間も忘れてそのまま釣りを続けた。しかしその後は何も起きず、日が傾いてきた。
もう帰ろう。そう思い陸地を振り返った僕を、新たなドラマが待っていた。
帰り道が、無い。
あわわわわ わわわあわあわ わああわあ(混乱の一句)
ご存じ無い方のために簡単に説明すると、海は約6時間ごとに水位の上昇と下降を繰り返す。私はその最下降時(干潮)の少し前に釣りを開始し、水位が上昇する前、すなわち足場が海に沈む前に帰ろうと予定していたのだ。しかし蓋を開けてみるとどうだろう。私の立っている場所は今、陸地から取り残された孤島のようになっていた。
陸地までの約200メートルが、今やすべて海に沈んでいる。
そんなバカな。
そんなバカがいるのか?
いるんだよなぁ、ここに。
どうしよう。
来た道、すでにめっちゃ深そう。
先程までいた人達、一人もいない。
夕日が煌めいて、水中が全然見えない。
どうしよう。
どうしようもない。
覚悟を決め、釣り道具や釣竿を頭に乗せ、半泣きで泳いだ。
滑稽だ。泣けるほど面白い。必死で自分を励ましながら泳いだ。
どうにか運良く、何事もなく陸地にたどり着いた。
服、ビチョビチョ
カエリ、クルマ、ノル。キガエ、ナイ。
クルマ、ビチョビチョ、エモノ、イナカッタ。
ウミ、コワイ。
オマエラ、キヲツケレ。
ウミ、イキテル。キケン。
変な方向に行った
あれ、これってなんで?
慣れ親しんだものについて突然疑問を抱くことがある。
それについて自分なりに考え、答えに辿り着くとそれはそれは嬉しいものだ。例えそれが正解でなくても、自分なりの説ができると人に話したくなる。
ちょうど今日、テレビを見ていてふと疑問が湧いた。
スイカ割りをしている。
目隠しをした女性がぐるぐると回り、ふらつく足取りでバットを振り上げる。
周囲からは右!とか、もうちょっと左!とか、そうそうそこ!とガヤが飛ぶ。
振り下ろしたバットがスイカに命中すると、ぬるい歓声が上がる。
なんだこれは。
意味が無い。
目隠しをするのも回転させるのもスイカの位置を不明確にするためじゃなかったのか。
こんなのは間違っている。
自力でスイカを割るからこそ楽しいのではないのか。
目隠しをする前に目測をつけておいて、回転で失われる平衡感覚を一から十まで数える声の場所を頼りに補う。
例え付け加えるにしても「ここだよ!」と一度だけチャンスを与えればいいのだ。
しかし私がいくら正しいと言っても、一人きりで叫ぶ正義ほどタチの悪いものは無い。
ここは反対側の、意味のわからない優しさで微調整までしてあげる人間の意図も考えてみよう。
私が大好きなアジアンカンフージェネレーションの曲にこういう歌詞がある
「あの日僕がセカンドフライを上手に捕ったとして それで今も抱えてる後悔はなくなるのかな」
あの日スイカを上手に割れなかったことで今も後悔を抱えている人がいるのかもしれない。
だとするとあれは、あの声はスイカを割れなかったことで一生後悔を抱えている人の声と同じなのかもしれない。
あるいは目隠しをした人にその後悔を抱えさせないための天啓のようなものなのかも。
人々が助け合うべきだというのなら、私の抱いていた疑問はきっと爪弾きにされてしまう。スイカ割りで一生を棒にふる人間が一人でも減るように、周りの人間はやはり声をかけるべきなのかもしれない。
……だめだ。やっぱりそんなのはごめんだ。
テロリストと言われようと、私は自力でスイカを割る。外野は黙っていてくれないか。
振り下ろした先の確かな感触に満足して、私は目隠しを外す。周りにはもう誰もいない。一人きりだ。
足元に目をやると、真っ二つに割れたそれはスイカではなく私自身の頭だった。