「普通に」と文頭につける人は長生きをする。なぜなら
私は普段から下らないことが気になったりするのだけれども、ある日、食事中にふと気になって「マスタードってどんな植物からできてるんだろう」と友人に聞いた。
すると友人は「知らん。そんなこと誰も気にしてないし」と答えた。
なんて向上心のないヤツなんだ。いつか準備不足で泣きを見るといい……。
というわけで以前から何度解決しても忘れてしまうあることについてのお話。
ペットボトルを破棄する際、ラベルを剥がすのだが、私はこの「はがし口」を探す行為が下手だ。
等間隔に小さな穴の開いているタイプのラベルは問題無いが、以下のような接着面を剥がすタイプに毎回惑わされる。
例えば街中に「ここから進んでください→」
という表示があれば私は右の方向に進む。「▶」でも同じだ。
なのではがし口を探す際もそれに従って左から右へ爪を立てる。
しかし、それは間違いで、この場合ラベルを剥がすためには矢印へ向かうかたち、つまり右から左へ爪を立てなければならないのだ。
なんでだよ。おかしいだろ。勝手に法則を変えるなよ。
この表示のせいでトイレの大と小のレバーもどっちに倒せばいいかわからなくなるんだよ。
自分の友人がたかがペットボトルのはがし口に対してやいのやいのと文句を垂れていたらどう思うだろう。きっと半数以上の人間は「知らん。そんなこと誰も気にしてないし」と言うのかもしれない。
現に今、私もこの文章を書いていて、なんでこんなことに時間を割いているんだろうと我に返りかけている。
つまりは、だ。
冷静になるためにはそれを文章にするのが非常に効果的だと言えそうだ。