無線騒動
電子機器から発生した電波が空を走り、左右の耳に飛び込んだ。電波は音となり、鼓膜を震わせる。
無線技術というのはすごいもので、あっという間に普及して、今や安易に手の出せるような低価格で私たちの生活を豊かにしてくれている。
私はランニングやトレーニング時に音楽やラジオを聞くために、イヤホンを使用していた。初めは有線のモノを使っていたけれど、運動時にケーブルが体を這っているというのはどうしても邪魔になってしまって、時には誤って引き抜いてしまうこともある。
そういう経緯があって、無線タイプのイヤホンに乗り換えた。左右のイヤホンがケーブルで繋がっているタイプのものを買ったけれど、次第にそれすらも煩わしくなってきて、今は左右独立型のものを使っている。
私は重低音がはっきり主張するいわゆる「ドンシャリ」な音が好きなのだけれど、購入したワイヤレスイヤホンは意外にもそういったタイプの音をしっかりと鳴らしてくれている。
「最近ワイヤレス買ったんですよ」
一仕事終えた同僚が、先輩相手に世間話をしている。
「へぇ。どんな感じ?」
「やっぱ楽ですね」
最近ワイヤレスの虜になった身としては、聞き流せない話題だ。早く会話の輪に加わろうと、キーボードを叩く手を早める。
今私たちのいるこの部屋は、入力室と呼ばれていて、お客様から得た情報を端末に入力する部屋なのだけれど、お客様のいない時間はこうして井戸端会議が行われる。
入力情報のチェックを一通り済ませ、データを送信すると、回転椅子をくるりと回して会話に加わった。
「僕も買ったんですよ、線無しのやつ。ワイヤレス」
「あ、あ、そうなんですか」
突然の同士の登場に焦ったのか、山本はたどたどしく返す。
最近ワイヤレスを買ったという山本は、私と同期入社で、中高同じ学校に通っていた。私の一つ年下だ。
「どこのやつ買ったの?」
「え?」
「有名なとこ?」
「いや、ちょっと……」
山本は口ごもった。
そりゃあそうか。電化製品のメーカーを気にする女なんてあまりいない。どこのイヤホンか、なんていちいち気にしていないのだろう。
「左右別れてるやつ?」
「いや、繋がってますよ」
「何色?」
「色?」
「黒? 白? 赤?」
「何で言わなきゃいけないんすか」
山本はさも嫌そうに言った。年下だけど生意気で、こんな風によく言い返してくる。
先程まで輪の中にいた先輩の朝井さんは、興味を失ったようにこちらに背を向けている。
「どこで買ったの?」
「あの……ユニクロです……」
ユニクロ? 鞄や靴、最近は偏光サングラスやネクタイも売っているけれど、ついにイヤホンにまで手を出したのか。どの程度のモノだろう。
「あとで見せてよ」
「はぁ? 嫌ですよ」
山本が顔をしかめるので、私もそれに倣って眉を寄せた。
「とつ君、やめなさいよ」
半分振り返って、朝井さんがいつになく厳しい声で言う。
なんだよもう。
仕方がないので、私はブックエンドからノートを取り出して、仕事に戻ることにした。
その日の昼休憩のことだ。
職場の二回に休憩室があり、私たちはそこで食事をとる。
私の所属する部署は女ばかりで、というか女しかいなくて、その大多数が既婚者もしくは結婚経験者だ。唯一の男として力仕事を任されることはあっても、基本的には男として見られていないので楽である。
私は隅の席で弁当を食べながら、テレビを見ている。女たちはどのドラマが面白いだの、どのイケメンがイケメンだのと話しに花を咲かせている。
情報番組が一盛り上がりして、CMに入る。ユニクロのCMが流れた。
スローモーションの映像で、女性が宙を泳いでいる。
女性はスウっと進み、同じく宙に浮くブラジャーへ向かっていき、ナレーションが流れた。
「ユニクロの、ワイヤレスブラ」
山本と目が合う。
違う、違うんだ。
私は声を出さずに言うと、上着の裾に手をかけた。
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