スウィーテスト多忙な日々

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目くそと鼻くそが肩を組んで笑いあえば世界は平和だとか

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「威嚇する時のミツバチくらい震えました」
「へえ、なんじゃそりゃあ。震えるのかい。ミツバチは」
「はい。シバリングというらしいです」
「勉強にはなるが、まずその説明が必要になるよな」
「はい、そうですね……」
 だめか……。心の中でため息をついて、私はギャラリーに戻った。

 

 営業に必要なのはボキャブラリーと比喩である、という課長の心得の元、我が営業部では定期的に小さな弁論大会をする。小弁論だ。小便論と同じ言い方なので少し気を遣う。
 今回のテーマはコロナワクチンの副反応について、である。
「仰向けで寝てたら、頭痛が後頭部に溜まったんですよ。頭痛って液体だと思います」
「へぁー。さんだねそりゃあ」
 賛が出た。感心が極まると出る、最大の称賛だ。侮るなかれ、賛の有無が昇給に関わる。
 発表者の岡本が嬉しさを噛み殺せないまま礼をし、下がった。
 確かに今の発表は良かった。難しい言葉を使わず、聞く側の知識も必要無い。加えてコンパクトでありながらユーモアがある。どこかの引用でなければ大したものだ。
 頭痛は液体。頭の引き出しに、そのメモを仕舞う。

 

 次は三橋が立った。自力というかセンスというか、三橋にはそういう類の柔軟さが無い。真面目と言えば聞こえがいいが、面白味に欠け欠けている。
 前に出た三橋はごくりと喉を鳴らし、私たちギャラリーに弱々しい目を向ける。
「熱が出た時、プライムビデオの素人映画を観ているような、なんか、そんな感じの気分になりました……」
 うん? どういうこと? ギャラリーからひそひそと声が漏れる。
 浅はかな。休みの日にやることもなくて、暇つぶしにそういう短編映画でも流し観ていたのだろう。感性を暗に見せつけようとして受け手のことを忘れている。プライムビデオの素人映画を観ているような気分、というのは大多数の人間にとってピンとくるものではない。仮に理解できたとしても、熱発時の心地悪さとそれがどう繋がるのかよくわからない。これだから、いつまで経っても三橋は三橋なのだ。
 案の定、あまり意味がわからないと課長に首を捻られ、三橋はとぼとぼとギャラリーに戻る。

 

 余談だが、課長は部長だ。
 ややこしい話ではあるが、部長であるにもかかわらず自分のことを課長と呼べと部下に命じている。
「部長を出せと言われた時に面倒だから」
 というのがその理由らしい。
 それじゃあ、課長を出せと言われたらどうするのか、と思ったが、そんなことは絶対に言われないらしい。根拠はよくわからないが。
 部長であり部長でない。課長であり課長でない。そんな矛盾した存在。それが課長だ。
 ちなみに、「矛盾」という言葉は課長が作ったらしい。子どもの頃から知っていた言葉だが、課長が作ったなんて知らなかった。

 

 最後の発表者は明神だった。
 明神はヒットメーカーというほどでもないが、断続的に賛を得ている。そしてそれを良しとも悪しとも思っていない。ように見える。そういう飄々としたところがあって、若手女子社員から人気を集めている。少し鼻につく男だ。
「僕、たまに、妙な感覚を覚えることがあるんです。今回熱が出た時もそういう感覚になったんですよねぇ」
 前に出た明神は、皆の視線をものともせず、まるで雑談でもするかのように首を捻る。
「どういう感覚だ?」課長が尋ねる。
「なんて言えばいいんでしょう。例えば体の一部とかが……大きくなったり小さくなったりするような、そんな感覚になるんですよね。よくわからないんですけど」
「それは……不思議の国のアリス症候群だね」
 ふむ、と課長がそう呟いた。さすがは博学だ。私たちは課長のそういうところを尊敬している。 
「へえ、名前がついてるんですか」明神が目を丸くする。「じゃあ案外、有名な現象なんですかね」
「いや、俺が今考えた」
 え?
 わ、わは。わはははは。一瞬の沈黙の後、会議室が笑いで包まれた。さすがはジョーカーだ。私たちは課長のそういうところを尊敬している。 
「もうー、課長、信じたじゃないですかぁ」女子社員が笑いながら非難する。「ちなみに課長はどうだったんですか、副反応」
「マレーシアの路地で銃突きつけられた時よりは震えなかったな」
「マレーシア?」
 マレーシアってなんだ? という疑問がそこここから漏れ聞こえる。
 日本語か? 英語か? 年配の社員が、これまた年配の社員に尋ねる。
 課長は難しい言葉を知っているよな……。若手社員が感嘆する。


「おいおい、勘弁してくれよ」課長が頭を掻いた。苦笑している。
 そりゃあそうだ。マレーシアも知らないなんて。
 そんなやつらと同等には見られたくなくて、課長に気付いてもらえることを願いつつ私はさりげなく鼻で笑う。マレーシアはお祭りの名前だ。

「国だよ国。マレーシア国。知ってるだろ普通……」課長は苦い顔で言った。
 へえ。そうなんだあ。知らなかったな。じゃあマレーシアの人間はマレーシア人か。それぞれが口走る。
「国の名前ってことですか?マレーシアというのは」三橋がおずおずと尋ねた。
「そう言ってるだろ、だから」
 当たり前だろ。一回で覚えろよ。バカだな。これだから、いつまで経っても三橋は三橋なのだ。

 

 

 

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