スウィーテスト多忙な日々

スウィーテスト多忙な日々

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4WD

 感動するような話ではない、とだけ先に言っておこう。
 あなたの日常の中で、「毎日見かける他人」と言われて思い浮かぶ人物はいるだろうか。
 私にとってそれは、老夫婦と一匹の犬だ。帰宅時に見かける二人(と一匹)で、タイミングさえ合えば本当に毎日のようにすれ違う。
 二人は随分と小さくて、走ることもできなければ重いものを持つことさえ難しそうな、風にも負けてしまいそうな弱々しい雰囲気で、逆に一匹の方は随分と大きくて力も強そうだ。恐らくラブラドールレトリーバーだろう。そんな一団の散歩風景に出くわす。

 

 彼らの存在を認識してから、私は彼らと接触をするようになった。
 会釈から始めて、しばらくすると「こんばんは」と言い合えるようになり、さらに日を重ねると、ほんの少しではあるけれど足を止めて一言二言交わす程度にまでなった。「他人」が「ご近所さん」になり、彼らは少しの癒しをくれる存在にもなっている。

 

 私たちは少しずつ、だけど着実に仲を深めていった。私は遠方に行った際に彼らにお土産を買ったし、彼らは料理のおすそ分けを私にくれたりした。
 さらに時を重ねて、彼らの家に呼ばれるほどになった。私たちはもう友達だ。
 何度目かの訪問で、私はおじいさんのある本音を聞くこととなった。

 

 少し酒を飲んだおじいさんは、おばあさんのいないタイミングで胸の内を明かした。
「実はね、というか見てわかる通り、私はもう体があまり自由ではない。だから、ね。この子の散歩をするのも朝飯前晩飯前とはいかない。幸いこの子は頭が良いから、私らに合わせてゆっくり歩いてくれるからなんとか散歩できているけれども。むしろ私らがこの子に散歩をさせてもらっているよ」 おじいさんは少し寂しそうに微笑んで、ふう、と息を吐いた。「だけどそれも、いつまでできることやら。私がいなくなったら、ばあさんは一人で散歩できるだろうか……」
「ガン」と頭を打たれるような思いがした。物語だ、と思った。そしてその、彼の物語は、終幕を迎えようとしている。
 その日私は、おじいさんにある約束をした。しなければならないという使命感さえあった。おじいさんは少し戸惑っていたようだが、お安い御用だと思った。

 

 それから一年も経たないうちに、おじいさんはこの世界を旅立ってしまった。
 彼は幸せだったろうか。終盤から参加した私には、それを知る由もない。だからこそ約束を果たす義務がある。
 そう。私のした約束とは、散歩だった。代わりにはならないだろうが、おばあさんとラブラドールと私で。

 

 軍手をはめながらおばあさんに微笑んだ。もう冬が来ている。
 四足歩行で歩きながら、おじいさんのことを考えた。一人と二匹。どこかから見てくれているだろうか。

しずくがひとつ、ぽとりと地面に落ちた。人を咬まないようにさるぐつわをしているから、よだれが垂れるのだ。