スウィーテスト多忙な日々

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夏の扇風機の涼しい

 

 夏の真ん中あたりに、この物件に越してきた。
 通勤の電車に乗るのが面倒に思えて、職場へ徒歩で通えればどんなにいいだろうと考えてからすぐに見つけた物件だ。
 どうやら人気のようで今はまだ退去が済んでおらず、かといって退去と清掃を待っていては埋まってしまうような物件らしかった。
 契約を取り付けるための方便とも考えられるが、相場と条件から見てもあまり悠長に検討はできないだろうと思いすぐに申し込んだ。

 

 いざ住んでみると、いい部分もあれば悪い部分もあった。
 引っ越してからの一か月は、フローリングのワックスを塗りなおしたりキッチンや風呂場の水栓を取り換えたりウォシュレットを導入したりと、自分で手を加える部分も多くあった。
 苦労した甲斐もあって今は随分と暮らしやすくなっている。

 

 さて、冬が訪れてから、小さな悩みの種がある。
 扇風機を仕舞う場所に迷っているのだ。
 空いている収納スペースがないわけではないが、扇風機を入れるためにあれやこれやと動かさなくてはならず、なかなか手間だなと考えている間に一か月二か月と過ぎてしまった。

 

 それでもなお後回しにして夏場の功労者を邪魔者扱いしているある日、風呂場の天井に蓋が付いていることに気が付いた。
 そういえばそうだ。風呂場にはこうして、天井に蓋が付いていることが多い。調べてみるとそれは点検口と呼ばれるものらしく、その名の通り何かしらの点検をする際に用いられる入り口、あるいは空間らしい。
 ここに入れられれば随分と助かるなと思い、風呂上り後から数時間空け、湿気を逃がしてから実行に移すことにした。

 

 何故か少しドキドキしながら、蓋を押し上げる。ゴムパッキンが圧迫から解放される感覚と共に、蓋はあっさりと開いた。
 風呂場の照明に照らされ、入り口付近の様子が見てとれる。太いパイプがどこからか伸びて、どこかへ繋がっている。換気扇だろうか。
 風呂場だから少しは湿気を帯びているかと覚悟していたが、意外にもカラッとしているようだ。大した重量のない蓋だが、開口部のふちに取り付けられているであろうゴムパッキンが充分に仕事をしているのだろう。

 

 折りたたみ椅子に上り、扇風機を入れる。サイズ的にもしかすると入らないかもしれないと危惧していたが、案外あっさりと入れることができた。
 これでOK。半年間、扇風機とはお別れだ。
 収納場所を忘れて夏前に大騒ぎしないようにしないとな、と考えながら、見るともなしに点検口の中に視線を巡らせる。その時だった。

 

 なにかと目が合った。
「なにか」なのか「誰か」なのか正確にはわからない。が、まるで引力に引き寄せられるように、私の視線はとある一点に釘付けにされた。
 誰かいる。なにかいる。
 よくある怪談話ではあるが、現実にはあってはならないじゃないか。

 

 不意に、登録しているマッチングアプリのことが思い浮かんだ。
 この場合、プロフィールの「一人暮らし」は嘘になるのだろうか?