スウィーテスト多忙な日々

スウィーテスト多忙な日々

誰かの役に立つことは書かれていません……

Mirror Mirror

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かれこれ四時間は経つだろうか。

目の前の男は、まるで母親のような笑顔で私の前にとどまっている。

私と彼は初対面で、だけどお互いのことをこれでもかと言うくらい知り合っているような気もする。

それは当然そんな気がするというだけのことで、実際にはそうではない。見当違いな所感だ。何せ私たちは示し合わせてこの場所に集まったわけではないのだし、もっと言えば私は彼のせいで予定をすっぽかす形になってしまっている。そしてそれは彼に言わせても同じらしい。

私たちは今、互いの存在のせいで不利益をこうむっている。持ち主のいない磁石同士がくっついて、これはもうどうしようもないと諦めきっている。まな板の上の私たちに、暴れる気力などもう一片も残っていない。

なにせ設定が狂ってしまっているのだ。登場人物にシステム上の問題は直せない。

開発者に抗議をする窓口があったとして、私の苦情に対する返答はきっとこうだ。

「規定通りのイベントです。予定通りでございます」

 

 

かれこれ三時間は経つだろうか。

目の前の男は、とてもじゃないけれど見ていられないような痛々しい表情をぶら下げている。その横で、ハトがせわしなく首を前後させて闊歩している。「この辺りで落としたんだよなぁ」とでも言うように、同じところをグルグルと回る。

ハトにも苦悩はあるのだろうか。溶けかけた脳でぼんやりと考えていた。その時である。彼の頭部に急接近する影があった。

私の視界に突如現れたそれは、彼目がけて真っ直ぐに飛来して、あっと言わぬ間に彼のひたいを直撃した。

「あなっ――」と彼はよくわからない声を出して、大きく体をのけぞらせ、よろけた。

そののち足元に落下した物体は、なんてことのないただの甲虫だった。

私は確信した。

これは、きっと、バグなのだろう。そうだ。間違いない。

バグによってバグに気が付く。ゲームの中に隠された言葉遊びのようだ。

彼は声を上げた。体を弓なりに曲げた。おぼつかない足取りを見せた。その一つ一つは、彼が見せた動作であり、同時に私のとった動作でもあった。

シンクロニシティ。あるいは同期とでも言うのだろうか。私たちは今、互いに同じ動作をするように仕向けられているのだ。

いや、もしかすると一方的な同期なのかもしれない。彼がとった行動が私にも反映されているだけ。今しがた起きた事象から察するに、それが一番筋が通っている。

私は彼のドッペルゲンガーなのだろうか。

しかし、私の知る限りでは、ドッペルゲンガーの近似性というのはこと外見に現れるはずだ。だとするとこれは――つまり私は、彼のドッペルゲンガーで、さらにその亜種なのかもしれない。

十時間、あるいは百時間でもいい。時計の針を大きく戻したとしても、私たちは別の場所で、全く同じ行動をとっていたのだろう。どうしても右利きになれなかったのは、私の忍耐の無さではない。彼に原因があったのだ。

 

 

かれこれ二時間は経つだろうか。

目の前の男は、私を罵倒している。

強盗犯や放火魔、あるいは他の非道な事件の犯人でもないのに、強盗犯や放火魔、あるいは他の非道な事件の犯人に向けるような酷い言葉を浴びせかける。

何故だか私は、彼の怒りが手に取るようにわかる。二時間もこうしているのだ。

今、彼は怒っている。怒りながらも思考している。疑っている。何かがおかしいと。

私の頭の中を渦巻いている疑問と、きっと同じだ。

何かがおかしい。思考の闇の中、目の前には霧のような違和感が漂っていた。手を伸ばせば届くのに、掴もうとすると霧は私をひらりとかわす。それは恐らく何かしらの現象、事象、あるいは名称で、私が覚える違和感の正体なのだろう。

それが一体何なのか、喉元まで出かかっている。

それなのに、それを後回しにして、私たちは口汚くののしり合っている。

 

 

かれこれ一時間は経つだろうか。

目の前の男は、この奇跡的な出来事に驚き、楽しんで、笑っている。思わず笑ってしまっていると表現した方が正しいのかもしれない。

休日である日曜日に、すっかりよれてしまった仕事着を買いに市街地を訪れた私は、駅を出て五分ほど歩いた路地で彼に出会った。

とびきりの美人でなくてもいいから、せめて異性だったらよかったのに……と下品で意味のないタラレバを考えている。

私はこの奇跡的な体験を軽んじているのだ。

私は向こう側に、彼はこちら側に目的があって、互いにすれ違いたいと思っている。しかし、奇跡的な意思の一致で、私が左に動けば彼は右に。彼が左に動けば私が右に。という具合で互いが互いの方向を完全に塞ぎ合っている。

らちが明かないので「俺は絶対に右から通る」と決めたけれど、彼は彼で「俺は絶対に左から通る」と決めたようで、私は右肩を、彼は左肩をビルの壁にこすり続けた。とても奇妙な光景だったことだろう。

酔っ払いを嫌悪するような表情を漏らしながら、着飾った人々が私たちの脇を通り抜けていく。

私たちは照れ臭く笑いながら右往左往する。

おかしな目に遭っているなぁ。

この時はまだ、事の重大さに全く気が付いていなかった。

前例のないことの結末は、前もって知ることができないし、前例があったかどうかは、結末を迎えなければ確認のしようがない。

そして、結末を迎えるまでは、結末があるのかどうかさえも定かではない。

 

 

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