トイレットペーパーのエントロピーが増大している
トイレットペーパーを引き出すと、彼らは二枚に分かれていた。
トイレットペーパーはシングルでもダブルでもどちらでもいい、という人はあまりいないんじゃないだろうか。私は必ずダブルを選ぶ。
しかし決めていることはそれぐらいで、どこのメーカーじゃないとだめだとか、肌触りを気にしたりだとか、そこまでのこだわりは無い。
最近よく買うのが、ピンク色で香りがついている物で、ほのかに香る甘い匂いが気分を和らげる。
しかし今、私の目の前で一つの問題が起きている。
ダブルのペーパーが、まるで仲たがいでもしたように離れているのだ。
普段はティッシュペーパーのように、「私たちは一心同体よ」とばかりに顔を表す彼らが。
こりゃハズレを引いたかな、と思ったが、ふと気が付き、巻き取る手を止めた。
二枚の紙は、芯に沿って何重にも巻かれている。
そもそも、第一レーンを走る紙と、第二レーンを走る紙が同じ長さになるはずがないじゃないか。
そう考えると、外側のレーンを走る紙が離れてしまうことにも合点がいく。むしろそれが自然なのではないだろうか。
表の紙と裏の紙が幾分もずれずに、きれいにミシン目が続くこと自体がおかしい。
例えば割り算で一度もあまりが出ないような、美しくも不自然な事実を目にしたような、そんな気分になった。
やはり……考えたくはないが、私の頭は一つの可能性に突き当たる。
本来ならば乱れるべき部分を、「何かが」あるいは「だれかが」修正してしまっているのではないか。
例えば、この世界を見張っている「デバッカー」のような者がいるのでは……。
観察者にとって、被験体にそれを悟られるのはきっと眉をひそめるような事態だ。
私は何も気が付かなかったように、慌ててトイレットペーパーを引き出した。
しかし、手元に目をやり、私は絶句してしまった。
先程まであんなにも離れ離れになっていた二枚が、今や婚姻届けを提出する二人のように、ピタリと寄り添っているのだ。
手遅れだった。
気付かれてしまったのだ。気付いたことに。
私は大きく息を吸い込み、できる限りの力を込めて叫ぶ。
しかし、その声が目の前の空気を震わすことはなかった。叫んだ事実を知っているのは、懸命に動いた喉だけ。
それから頭の中で「ピロリン」と小気味のいい電子音が鳴って、脳内の一切の乱れが消えた。
今日もいい日だ。
私はつい、口笛を鳴らした。