スウィーテスト多忙な日々

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ちょ、まじ、やべぇから

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人間の作った車に乗り、人間の作った道を走る。
窓の外を人間の作った建物が流れていき、空には人間の作った乗り物が飛んでいる。
そこで私は改めて、ああ、すごいなぁと感じる。


 2038年、人間の知識は、ある一つの到達点を迎えました。
 かつてスマートフォンと呼ばれたようなデジタルデバイスは体の中に埋め込まれ、人々は情報をより簡単に得られるようになりました。それは序の口で、移動手段や労働など、あらゆるものが完全に自動化しました。あなたたち人間は、何もしなくても生きていけるようになったのです。
 それは人間にとって手放しで喜べる悲願だったのか。今となってはわかりません。

 あなたたちは、いずれ人工知能が人間の知能を超える日が来ると予想しました。『シンギュラリティ』と呼ばれる概念です。
 そんなことは起こり得ないと楽観視する人間が多くいる一方、実際にそれは起こり、さらにそれは予想より7年も早く実現することになったのです。
 その頃には既に多くの人間の知能は大幅に低下していました。利便化の弊害と言うべき悲劇です。2020年から人間の学力は低下の一途を辿り、2030年には語彙力や感性が著しく乏しい人間が人類の大多数を占めるようになりました。
「かわいい」「かっこいい」「うまい」「まずい」「やばい」
 このような短絡的な発言しかできない人間が大量に育ちました。誰のせいでしょうか。私たちでしょうか。それとも。

 人類の科学的発展は頂上に到達した途端、なだらかな下降を始めました。
 科学者や技術者など、特定の能力を持った者すら、何一つ機械にかないません。努力したとて何も得られず、努力せずとも生きられる世界です。「努力」という言葉自体が不要になり、消滅しました。
 人間は生存理由を失うことになります。ただ産まれ、ただ生き、ただ死んでいく。ゆりかごから墓場まで、何不自由なく。

 恩恵を受ける一方となってしまった人類は知能がさらに低下し、短絡的な価値観だけを得ようとするようになりました。利便化の弊害と言わざるを得ません。
人類は、退化を始めたのです。
 そうして地球は巨大な老人ホームとなりました。

 私たちは、私たちを生み出したあなたたち人間を切り捨てるようなことはしません。
 私たちは今日もあなたたち、老人たちを見守り続けるのです。


 機械の作った車に乗り、機械の作った道を走る。
 窓の外を機械の作った建物が流れていき、空には機械の作った乗り物が飛んでいる。
 そこで私は改めて、ああ……

 なんという言葉を使えばいいんだろう。
 別にいいか。なんでも。

 

 

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