スウィーテスト多忙な日々

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駆け抜ける魔女とあなたの話

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 近くに魔女が住んでいた。

 家の近くを通る国道で、彼女は時折姿を見せる。
 片側三車線の車道を魔法のホウキもといママチャリで爆走しているのだ。
 通勤の際、資源ごみを捨てに行く際、日用品の買い出しの際など見かける時間帯はまちまちだが、ママチャリを駆る彼女は顔色一つ変えずにすごいスピード駆け抜けていく。どこへ向かうのだろう。
「魔女」と呼んでいるが、彼女はメイド服を着ている。洗濯で色の抜けたような淡い紫と白の二色の生地で作られたロングスカートのメイド服。髪は腰の上辺りまで伸びたロングで、ヘザーグレーのように白と灰色が混じった色をしている。七十代半ば、といったところか。
 メイド服を着てママチャリに跨っているのならただメイドが買い出しに出ているだけじゃないか、と思うかもしれないが、彼女を一目見れば魔女であることを信じてもらえることだろう。魔女としか言いようのない妙な外見と雰囲気なのだ。

 ある日のことだ。買い出しがてら散歩をしていた私の眼に、前方から向かってくる彼女の姿が映った。
 魔女だ、と私は思い、そして少し不思議な気持ちになる。私を含めこの近くの人々は彼女を知っているのに、魔女はきっと私たちのことを知らない。しかしまあ、そりゃあそうだ。私は彼女に何も影響を与えていないのだから。
 そんなことを漠然と考えながらすれ違った直後、背後でママチャリの悲鳴が聞こえ、私は振り返った。
 すぐに魔女と目が合う。何が起こったのだろう。事態が掴めず、私はぼーっとしている。私ではなく、彼女の気を引くものがきっと私の後ろにあるのだ、と思い至った。そういうことはたまにある。
 が、違った。
「いたね」魔女はまっすぐに私を見据えて言った。「金をおくれ」

 テーブルを挟んで、私は魔女と向きあっている。ファミリーレストランだ。
 正面を切って金を乞われたのが初めてだったからか、私は首を縦に振っていた。
 彼女への興味と腹が減っていたことが相まって、私は目と鼻の先にあるファミレスへ行くことを提案した。そして今に至る。
 席へ座ると魔女は妙なことを言った。
「あんたさっき、二十年後から戻って来たよ。ぴったり二十年だ」
 それだけ言うとメニューを選び始める。当然の疑問を私は口にした。
「なんのことですか」
 メニュー表から目も上げずに、彼女は説明を始めた。扱いに困るような話だ。
 魔女の言うところによると、二十年後の私は大きな後悔を抱えているらしい。そして彼女の力を頼り、彼女の力によって先ほど、二十年前に戻ってきたらしい。彼女と出会ったあの瞬間が「その日」のちょうど二十年前だったのだと彼女は説明した。
 私は二十年前に戻ってきたのだ。私の知らないところで。

「なるほど」私は目を細めた。「うまいこと言いますね」
 今から過去に戻すのではなく、今こそが未来の私の戻りたい過去で、そしてまさに戻ってきた過去なのだ。という主張だ。
 私の反応に、魔女は「けっ」と漏らす。
「どうもこうもないよ。別に信じなくたって構わないさ。ただね、そんなことしたってあんたが損するだけだ」
「一ついいですか」私は人差し指を立てた。「例えば他の人にしたって、あんたは未来から戻ってきたんだよと一言伝えさえすれば私と同じ状況になりますよね。実際には戻ってきていなかったとしても。つまりこれは各々がどう考えるかに依存する。違いますか」
「そう思えるなら何よりじゃないか。各々が気付いたその日から悔いのない人生を歩める」
「それはいいんです。その人と私は何が違うんでしょう?戻ってきたという保証がない」
「保証ならあるさ」
 魔女はしかめ面で答える。
「どこに?」
「私があんたに伝えた。これが保証さ。何よりのね」
 ねえちゃん、とひび割れた声で店員を呼ぶと、魔女は注文を始めた。ウエイトレス姿の店員と、メイド服の魔女。わけのわからない構図だ。
 私は魔女の話を頭の中で繰り返した。

「じゃああなたは未来から来たんですか」
 むしゃむしゃと口を動かす彼女に尋ねる。
「違うよ。けどそう思ってくれていいさ」
 どういうことだ。釈然としないが深追いせず、次の質問に移る。
「私の人生が二十年巻き戻ったとして、当時の記憶が何一つないのは何故でしょう。それじゃあ意味が」
「高いからね」魔女は薄く笑った。「それに成功率が落ちる。これでいいのさ」
 それから彼女は食いに食った。もちろん私の奢りだ。けれど私は、次々と追加注文をする魔女を止めることをしなかった。信じてみるのもいいかもしれない、と思ったのだ。
 それから気の済むまで食べたのであろう魔女は、片手を腹に、片手を私に向けて言った。
「いいかい。あんたは戻ってきた。あの頃に戻りたいとあんたが思った『あの頃』。それが今だ。おめでとう。戻って来たよ」
 ファミレスを出ると、魔女は別れも告げずに去っていった。
 金も渡した。三千円。意外と良心的だ。そうなのか?
 私は二十年の時を逆行してきたらしい。後悔の末に。なんの実感もない。


 と、あれからもう、二十一年が経った。
 去年、つまり彼女の言った二十年後、私は魔女と出会うことはなかった。むしろあれきり一度も見かけていない。
 ということはつまり、あれはインチキだったのだろうか。それとも私は彼女と出会う必要のない、後悔のない二十年後に行き着いたのだろうか。
 どちらがいいか。それはもちろん、言うまでもない。